リヴァプールFCのプレミアリーグ優勝
今年になってのコロナウイルス過による中断を挟んでイングランド プレミアリーグはリヴァプールFCがなんと30年振りに優勝を果たしました。
正直30年振りと聞いて驚きました。その間、チャンピオンズリーグで優勝もしているので低迷していたわけではなくてっきり何回かはリーグ優勝していると思っていました。
とくに日本には前ボルシア・ドルトムントの監督として馴染みの深いドイツ人監督のクロップがイングランドに渡って優勝に導いたのが話題になっているようです。
ケビン・キーガン
自粛期間中は暇なので昔は三菱ダイヤモンドサッカーでしか見れなかった1970~80年代のスター達をYou Tubeで見ていましたが、今から約40年前、クロップとは全く反対にリヴァプールFCのスター ケビン・キーガンは1976-77シーズン,ヨーロッパチャンピオンズカップでボルシア メンヘングラードバッハを破り、優勝を置き土産に西ドイツ(当時)のハンブルガーS.V.に移籍しました。
特に3点目、あのB.フォクツを振り切ってP,K.を獲得したシーンは有名です。もっともB.フォクツも西ドイツ大会でクライフをマークしてから4年という歳月が流れていたのかとも思いますが。
当時の西ドイツブンデスリーガは、B.ミュンヘンとB.メンヘングラードバッハの2強時代からB.メンヘングラードバッハの1強時代となっていました。(B.ミュンヘンは下降線をたどっており、チャンピオンズリーグに専念という感じでした)
その中でハンブルガーS.V.(以下H.S.V.)は1976~77シーズンのUEFAカップウイナーズカップで優勝し、さらなる躍進を期すため ケビン・キーガンを獲得しました。
当時、イングランドリーグ(プレミアリーグではありません)のスターが西ドイツ ブンデスリーガに移籍することは珍しく、かなり非難もあったようですが新たな挑戦を選択しました。
H.S.V.時代
しかしながら、移籍した1977~78シーズンはH.S.V.は全く不振で、10位に終わり、おまけに古巣のリヴァプールFCと対戦したスーパーカップでも惨敗します。
もっともキーガン自身は1978年バロンドール(欧州最優秀選手)を受賞します。
1978~1979シーズン、悲運の天才G.ネッツァーがGM.に就任しチームを立て直し、ブンデスリーガ優勝を果たします。
キーガンも1978年、1979年と2年連続でバロンドール(欧州最優秀選手)を受賞します。
このシーズンからK.H.ルンメニゲの成長、P.ブライトナーの復帰で復活したB.ミュンヘンとの2強時代となります。
1979~1980シーズンはUEFAチャンピオンズカップ は準決勝でスペインのレアル・マドリードを下し決勝進出を果たしますが、決勝ではイングランドのノッティンガム・フォレストFCに0-1で敗退します。
その後、イングランドに戻り1980-1982 サウサンプトン1982-1984 ニューカッスル・ユナイテッドでプレーしました。
引退後は指導者としてはイングランドのクラブと、イングランド代表の監督を歴任しています。
プレースタイル
豊富な運動量とシュート力は勿論、彼のプレーでよく語られるのはヘッディングの強さです。多分身長は170cmくらいだと思うのですが、並み居る長身のディフェンダーに対し
ポジショニングとジャンプのタイミングの巧みさで競り勝ちます。
次の動画はワールドカップ予選のイングランド イタリア戦で、キーガンが1得点、1アシストと大活躍します。特に1点目のヘッディングは鮮やかです。
歌手 ケビン・キーガン
たまたま珍しい動画を見つけました。
まあ、キーガンは歌手としてはロッド・スチュワートにはかなわないようです。(笑)
1:23からがB.フォクツを振り切るシーンです。