北海道 十勝地方の写真が手に入りましたので、掲載します。

中でも、てぼの花の写真は珍しいものです。



H24.7.26 てぼの花



H24.7.26 小麦畑



H24.7.26 十勝地方 畑の風景
 


Posted by 安儀製餡所 at 18:05 photo galleryコメント(0)
猛暑が続く今日この頃、この時期には かき氷 が食べたくなります。

さて、今回紹介するのは、泉州限定の くるみあん を使ったかき氷です。

作りかたはいたって簡単、かき氷にくるみ餡をかけるだけですが、弊社のくるみあんは、お餅か白玉団子に和えることを前提にしていますので、かき氷だと少し甘みが足りないかもしれません。その時は、みぞれシロップをかけて甘みを足してください。

次の写真は枝豆のくるみあんを使ったものですが、大豆のくるみあんも同様です。




これにひと手間かけて白玉団子を加えれば、さらにおいしくなります。 

Posted by 安儀製餡所 at 19:00 くるみあんコメント(0)
さて、和菓子好きにはお馴染みの グレーテルのかまど で 水ようかん が採り上げられていました。

番組のHPで次のように紹介されています。

向田邦子がこよなく愛した夏の風物、水ようかん。
エッセー『水羊羹』は彼女独特の視点からその魅力を語った小気味よい小品。
その文章を手がかりに、妹和子さんへのインタビューや、水羊羹専用のお皿、お気に入りの味、食す作法などを紹介。水羊羹的なものを慈しんだ彼女の生き方や美学をひもといていく。
「水ようかんの旬は冬」といいはる土地にも小旅行!いったいどこ?!
昨夏、開発番組として放送したものを、24分版に再編集してお届けします。


向田邦子といえば、私などはTVがお茶の間の主役であった昭和の時代が思い起こされます。

詳しくはこの番組のHPを読んでもらえばよいのですが、この中で興味深かったのは、以前に書いた 小豆ペーストではないご家庭での正しい生餡の作りかた を紹介していたこと。(結構面倒臭い)

もう一つは、水ようかんに合う音楽として『ミリー・ヴァーノン』(Millie Vernon)というジャズ シンガーを紹介していたことです。
ミリー・ヴァーノンというのは、向田邦子の読者にはよく知られているのですが、恥ずかしながら今回私は初めて聞きました。

私のような凡人ですと、水ようかんに合う音楽と言えば、中川イサトさんやゴン・チチのようなアコースティック・ギターのインストロメンタルを思い浮かべるのですが、このように渋いジャズ ヴォーカルを持ってくるのが才能の違いというものでしょう。




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Posted by 安儀製餡所 at 18:48 あんこ豆知識コメント(0)

与謝野晶子とその実家

2012年07月11日
 先日、私の子供に「学校で 与謝野晶子の実家が、堺で駿河屋という和菓子屋さんだったと習ったが、和歌山にある駿河

屋さんと関係があるのか?」 と聞かれて恥ずかしながら、はっきりと答えることができませんでした。

そこで、その後調べたことを書いてみます。

face01 与謝野晶子





与謝野 晶子(正字: 與謝野 晶子、よさの あきこ、1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)は、日本の歌人、作家、思想家。

本名与謝野 志よう(よさの しょう)。旧姓鳳(ほう)。ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取った。夫は与謝野鉄幹(与謝野寛)。

鳳志ようは、堺県堺区甲斐町西1丁(現在の大阪府堺市堺区甲斐町西1丁)で老舗和菓子屋「駿河屋」を営む、父・鳳宗七、母・津祢の三女として生まれた。実の兄にはのちに電気工学者となる鳳秀太郎がいた。9歳で漢学塾に入り、琴・三味線も習った。堺市立堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)に入学すると『源氏物語』などを読み始め古典に親しんだ。また兄の影響を受け、「十二、三のころから、『柵草紙』(後には『めざまし草』)[1]『文学界』や紅葉、露伴、一葉などの小説を読むのが一番の楽しみ」(『明星』1906年年5月)であった。

20歳ごろより店番をしつつ和歌を投稿するようになる。浪華青年文学会に参加の後、1900年(明治33年)、浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。翌年家を出て東京に移り、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』を刊行し、浪漫派の歌人としてのスタイルを確立した。のちに鉄幹と結婚、子供を12人出産している(うち1人は生後2日で亡くなる)。

face01 駿河屋 系統図

丁度、総本家駿河屋(和歌山)さんの出している 「駿河屋 系統図」が手に入りました。

それによると、与謝野 晶子 旧姓鳳(ほう)の実家である堺 駿河屋 は、


① 総本家駿河屋13代の時に 大阪 駿河屋が分家となります。

② 次に、大阪 駿河屋の2代の時に暖簾分けで 鳳 惣七を初代として堺 駿河屋が創業されました。

③ 堺 駿河屋は鳳 惣七(初代)-宗七(二代)―宗七(三代)-久夫(四代)と続き、現在は途絶えているようです。

したがって、二代か三代が与謝野 晶子の父となります。

今から思えば、与謝野 晶子が店番をしていたというのは、なかなかすごいですし、与謝野 晶子が好んだ和菓子など興味深いですね。


Posted by 安儀製餡所 at 21:40 あんこ豆知識コメント(1)

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