Both Sides Now

2022年07月29日
今年になって CODA という映画の影響で何十年振りかで耳にする機会が多かった Both  Sides Now。 

つい先日 ジョニ・ミッチェルがニューポート フォーク フェスティバル に登場した動画を見つけました。




今年はポール・サイモンも出演していました。


ジョニ・ミッチェルについて私などが偉そうに書くことはないのですが、その波乱万丈の音楽人生にまた一つモニュメントが加わったように思います。

ミスタースポックが歌う Both  Sides Now

ついでに意外なものを見つけました。






Posted by 安儀製餡所 at 18:22 映画コメント(0)
今年一番の話題の映画「サマー・オブ・ソウル」。

ネット上の映画のコメントを読んでいると スティービー・ワンダー がドラムを叩くのを初めて見たというのが多くて少し驚きました。

以前は地上波テレビ(というか昔はこれしかなかったのですが)でも日本での彼のコンサートが放送され、彼がてドラムを叩くシーンが放送されました。まあ元々マルチプレイヤーとして有名でしたから。

エンドロールの後で彼が漫才みたいなことを演じていたのですが今一つ意味が分かりませんでした。(多分彼らが白人に搾取されているということだと思うのですが)

映像からは、結構グタグタだったという話の ウッドストック と違いブラックパンサー党が警備にあたったなど政治色が強くきっちり運営されていたという印象があります。

その出演者も多岐に渡り、ポップス、ゴスペル、ソウル、ブルース、ジャズ、ファンクはもちろん、キューバ、プエルトリコ、南アフリカ共和国出身のミュージシャンも出演していました。

スタックスのミュージシャンが出演していないような気もしますが、これはコンサートがニューヨークで行われたことに関係しているのでしょうか?


ブラックミュージックに精通しているわけではないので、出演したミュージシャン全てを知っているわけではなく、私もフィフス・ディメンションなどはこの映画を見るまで白人のコーラスグループだと思っていました。

マヘィリア・ジャクソンは映画「真夏の夜のジャズ」の頃と比べたら凄い貫禄、このコンサートのハイライトの一つ(見所が多くて一つは選べませんが)スライ&ザ ファミリーストーン、ステイプルシンガーズ、ニーナ・シモンetc.

「デビットラフィンが歌が下手だ」と言われているのは笑ってしまいました。

NY市長ジョン・リンゼイ

このコンサートの立役者の一人でもあるNY市長ジョン・リンゼイ。

白人で長身、ルックスがよくリベラルな共和党員。後に共和党から民主党に禁断の移籍(ルイス・フィーゴか⁉)をします。
当時の共和党のニクソンーキッシンジャーラインには適わないと思ったのでしょうか。いかにもアメリカ人好みのテレビドラマに出てきそうな政治家です。

ウイキペデイアによると後世の評価としてはニューヨーク市の財政破綻の原因をつくった市長としてあまり好ましくないようです。

大統領候補として立候補もしたらしいですが落選しました。政治人生の後半はあまり恵まれていなかったようです。

それに合衆国大統領になるにはニューヨーク市長とか知事というのは他の地域の共感が得にくいようにも思われます。

いずれにしても映画と同様この人物も忘れ去られようとしていたと思ってしまいます。

Posted by 安儀製餡所 at 16:10 映画コメント(0)
緊急事態宣言以来、結果的に暇で自粛となってしまいました。

時間があったので「COLD WAR あの歌、2つの心」を観たのですが、すっかり引き込まれてしまい何回も観てしまいました。

冷戦時代のポーランドとパリを舞台にしたピアニスト ヴィクトルと歌手 ズーラの物語。

映画全編を通して形を変えて歌われる、ポーランド民謡「二つの心」




何回か観てるうちに「これは近松門左衛門の心中もの」という気がしてきました。

最初は冷戦をものともしないズーラの行動力に感心したのですが、やがて彼女の方がヴィクトルに振り回され、彼女の献身にかかわらず行き場を失くしてしまった二人はやがて死を選んでしまう。まるで近松門左衛門の世界だと思いました。(監督がどういうかは知りませんが)

最初観たときにラストシーンに何か違和感がありました。

ポーランドはローマ法王が出るくらい熱心なカトリック教国で、劇中では二人とも信仰があると語っていたのに心中(自殺)というのはどうなっているのかという点です。

ヴィクトルは「音楽バカ」というか状況を無視して自分のズーラへの思いだけで行動してしまう。結果的に状況を悪化させる。

ズーラは困難な政治状況の中で現実的な解決策を考え、実行する。

それが密告であったり、偽装結婚であったり。

そして最後は二人の死という悲劇で終わります。

以下は映画のあらすじ(ネタバレ)です。

1949年

冒頭から イリアンパイプみたいな楽器(ポーランドでは民族、地域により5種類あるとのことです)とフィドラーによる唄と演奏、初めて見た足踏みのアコーディオン。

ポーランドの民族音楽舞踊団を結成すべくヴィクトルとイレーナは民族音楽(フォークソング)を収集している。

そしてそのオーディションでヴィクトルはズーラという若く魅力的で野心家の女性に興味を抱くが、イレーナは彼女に危険な香りを感じたのか、自分を農村出身であると偽っていること、父親を殺害したために保護観察中の身であることヴィクトルに告げる。

おそらくヴィクトルとイレーナは関係があったと思われるが、ヴィクトルがズーラに惹かれて行くのが分かっていたのでしょう。

ヴィクトルはレッスン中、ジャズコードにも柔軟に対応するズーラに西側の音楽界でもやっていける才能を感じる。

1951年

ワルシャワでヴィクトルとイレーナは東側諸国へのツアーと引き換えに、プログラムに共産主義のプロパガンダを入れるように当局から圧力をかけられる。イレーナは反対するが、舞踏団の管理部長であるカチマレクはプロパガンダを入れることに同意し、イレーナは舞踊団を辞めてしまう。そしてヴィクトルとズーラは関係を深めていく。

スターリンの肖像画が描かれた垂れ幕の前で歌う舞踏団。このような映像は今でも某国で見ることができます。共産主義というのは変わらないものです。
昔観た映画『祭りの準備』で竹下景子が左翼の青年に影響されてしまい江藤潤のシナリオをけなすのと全く同じセリフをカチマレクはイレーナに語ります。

ズーラはヴィクトルにカチマレクの命令で彼の行動を密告していたと告げる。彼女の置かれている状況を考えれば致し方なく、カチマレクに適当な報告を入れるというのは最善の策なのですが、彼は彼女を許すことが出来ず、去ろうとする。

1952年

ヴィクトルは舞踏団が東ベルリンを訪れた際にズーラに西側に亡命することを告げ一緒に行くよう誘います。

この当時は「ベルリンの壁」ができる以前でした。しかし約束の場所にズーラは現れず、ヴィクトルは一人で亡命します。

1954年

ヴィクトルはパリのジャズクラブでピアノを弾いて暮らしている。

そして公演でパリに来たズーラと密会する。

ヴィクトルはズーラにあの時に来なかった理由を尋ねると、彼女は自分に自信がなかったのだと答える。そして二人はお互いの気持ちを確認する。

1955年

ヴィクトルはユーゴスラビアまで行き、目的は不明だが舞踏団の公演を鑑賞する。

そして案の定、いくら鉄のカーテンの締まりが緩いユーゴスラビアとは言え、カチマレクに通報され現地警察に捕まるが幸いにもワルシャワではなくパリに送還される。

ズーラは観客の中にいる彼を見つけて激しく動揺する。

この時にヴィクトルの愛情を確信し、彼を追ってパリに行くことを決意したのかもしれません。

1957年

ヴィクトルはパリで映画音楽の作曲家として働いており、そこに突然ズーラが現れる。

彼女はシチリアのイタリア人と結婚したことで合法的に出国していたが、教会で式は挙げてないと言う。そしてヴィクトルと暮らし始める。この瞬間が二人の幸福の絶頂であった。

ヴィクトルはズーラをソロ歌手として売り出す。しかしズーラは以前と違い自分の歌に信念を持っており、ヴィクトルの元恋人が創ったフランス語の歌詞は俗悪に思え、レコーディング中の仕事が彼らの関係性に亀裂を生み、彼女は酒に溺れ始めてしまう。

ズーラから見て今のヴィクトルは共産主義に代わって西側の商業主義に支配されていると感じられた。もはやヴィクトルの彼女に対する愛情は消えていて今は商品としかみてないように感じる。

パリでの暮らしに失望したズーラはレコードを1枚遺してポーランドに帰ってしまう。

ヴィクトルはパリのポーランド領事の助言を無視してズーラを追ってポーランドに帰国する。

やはり、ここでも全く勝算のない行動を起こします。
まあ、トム・クルーズでもない限りこんなことはしないでしょうが、やはり逮捕されてしまいます。

1959年

ズーラは収容所でヴィクトルと面会する。

そこで彼は祖国を裏切ってスパイ活動を行った容疑で「寛大」にも懲役15年を宣告されたことを明かす。彼の手は拷問により痛めつけられており、音楽家としての道は閉ざされていた。

命がけでズーラを追ってきたヴィクトルに対し彼への気持ちがよみがえったズーラは彼を助け出すと約束する。

1964年

釈放されたヴィクトルはクラブでカチマレクと歌手を続けるズーラと再開する。

ズーラはカチマレクと結婚することでヴィクトルを早期に釈放させる取引をしており、また男児を出産していた。

「この男児の父親が誰か」は彼女のみぞ知るというところです。

ズーラは今はポーランド国内での成功と引き換えにパリ時代より悲惨な音楽を歌っている。

ヴィクトルとズーラはトイレに逃げ出し、悲惨で敗残者となった彼女は彼に助けを求める。

2人はバスに乗って廃墟になった教会に行き、結婚式を挙げる。2人は錠剤を飲んだ後に外へ行き、座って景色を眺める。

ズーラが「向こう側」(つまり此岸(しがん)から彼岸の世界)から見ようと提案すると2人は立ち上がって画面上から去り、風に揺れる麦畑だけが映し出される。



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Posted by 安儀製餡所 at 21:37 映画その他コメント(0)

映画 「シェーン」

2019年12月31日
昨年の大晦日、 「紅白」とか「ガキの使い」 と同時間帯で名画「シェーン」が放映されました。

朝刊のテレビ プログラムを読みながら「日本中で一体何人の人が観るのか?」と思っていたのですが、結局自分がそのうちの一人になってしまいました。



大晦日、食事が終わると家族は各々どっかに行ってしまい一人残った私は最初、何とはなしに観ていたのですが、やがてその魅力に引きずり込まれていきました。



「シェーン」は子供の頃、私が父に連れられて怪獣映画以外で初めて大阪まで観に行った映画です。
やはり、改めて観ていると昔観たときには気付かなかった所がよくわかりました。

途中からこの映画はどっかで同じような話があったなと感じだしたのですが、思い出しました。

そう、向田邦子さんの「あ・うん」です。

映画「あ・うん」での 高倉健 が シェーン、板東英二 が スターレット 富司純子 が スターレットの妻マリアン という感じです。

山田洋二監督もこの話を何回かリメイクしているのですが、何か話が味気なく感じたのはこの三角関係が描かれていなかったためだと思います。



この映画では最後、南部側のシェーンが「北部の豚野郎(当時の字幕)」と言って、全員を打倒していったことです。

子供の頃は単純に南部=悪、北部=善 みたいなイメージを持っていました。

シェーンとスターレットの殴り合いにしても当時は理解できなかったですが、今観るとよくできています。

シェーンとしてはあの状況で最善の選択を取ったということです。
つまり父親の威厳を保たせたまま、子供のジョーイに嫌われた形で決闘に赴くために拳銃の握りで スターレット を殴り倒していく。

この映画のテーマの一つであるホームステッド法は後に「天国の門」という映画でも描かれました。ただしこれは歴史的な失敗作となりその映画会社は倒産ししまいました。



Posted by 安儀製餡所 at 17:15 映画コメント(0)
「アイリッシュマン」という映画が話題になっています。

【監督】 マーティン・スコセッシ

【キャスト】 ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテル

【音楽】 ロビー・ロバートソン

ということで非常に観たいのですが、私くらいの年齢の家族がいる男が一人で映画館に行くというのはなかなか難しいものです。

小説の方を買ったので正月休みに読みたいと思っています。

映画「タクシードライバー」

私がマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロのコンビで一番最初に観た映画と言えば「タクシードライバー」です。

初めて観たときはかなり衝撃を受けました。もっとも意味不明だったロバート・デ・ニーロの行動は現在は PTSD という言葉で解決するのでしょうが。

最初のデートで女性をポルノ映画に連れて行って振られたり、大統領候補の暗殺を企て、それに失敗するとチャールズ・ブロンソン扮するポール・カージーみたいなことをはじめて最後には無罪になって街の英雄になる。そう言えば当時「ディア ハンター」とか「ローリング サンダー」とかいわゆるベトナム戦争の後遺症をテーマにした映画がよく創られていました。

理解不能な彼の行動ですが、そのうちの一つが「ロバート・デ・ニーロがテレビを観ていて、ジャクソン・ブラウンの Late for the Sky が流れてくる。そして最後に切れてしまう」というシーンです。

https://youtu.be/IHxuij9Rm-4

改めて見ると若き日のロバート・デ・ニーロのNYの孤独と苦悩を一身に背負う表情は凄いと思います。

しかし、この歌はロバート・デ・ニーロが切れるのを誘発してしまうような内容なのか?、そもそも Late for the Sky という曲名の意味がずっとわかりませんでした。

そこで今回ネットで調べてみたところ次のブログを見つけました。

http://neverendingmusic.blog.jp/archives/20387165.html

ここでジャクソン・ブラウン自身がインタビューに答えている内容が書かれていました。

 "レイト・フォー・ザ・スカイ"…これこそ、まさにその例だよ。これもタイトルから始まった曲なんだ。僕がある人にさよならを告げるときに言った言葉だった。"もう行かなきゃ"ということを告げるのに、馬鹿馬鹿しくなるくらいドラマチックな言い方だったんだ(笑)。つまり「遅れそうだ。飛行機に乗らなきゃならないんだ。もう行くよ」ということ。しかも早朝のフライトで、夕刻遅くではなかった。それなのに「空(飛行機)に遅くなる」と言ったんだ。そのことを覚えていたんだよ。そして曲になった。
 僕にとって曲を書くというのは、そういった、たったひとつのフレーズがさらに響き渡ってくるような、比喩表現やクリエイティヴな文脈を見つける作業に過ぎないということもよくある。もしくは口にしたとき、結果的にそういう意味になるか…。


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Posted by 安儀製餡所 at 16:46 映画コメント(0)
スピルバーグ監督からグレムリン3あるいはバックトゥザフューチャー4の制作発表がありました。

話の内容は以下の様になる模様です。


20XX年 朝食を取っているマーティの所にドクが血相を変えて未来から帰ってくる。


ドク 「未来が大変なことになっている。すぐに201X年に一緒に行ってくれ。ダニエル・クランプの奴が合衆国大統領になって、合衆国はもちろん世界中が大混乱になっているんだ。」

マーティ 「なんだって、ダニエル・クランプが大統領になるって。僕が昔1955年に戻った時、レーガンが大統領になるってみんなに言ったら驚いていたがその時と同じくらいの驚きだ。」

そう言って二人はデロリアンに乗り込んで201X年に向かった。

そこでマーティが目にしたものはメキシコとの国境沿いに造られた巨大な壁と大混乱に陥っている合衆国、いたるところで紛争が起こっている世界であった。



マーティ 「ドク、過去に戻るんだ。 奴のクランプタワーは1990年に一度グレムリンに徹底的に破壊されているだろ。」

ドク 「何言ってるんだ。あの時は奴は保険で難を逃れたんだ。」

マーティ 「だから、過去に戻って保険の免責条項にグレムリンによる破壊を入れて奴を破産させるんだ。改ざんしたところで誰もグレムリンによる破壊なんて気にしないさ」

ドク 「なるほど、じゃあ早速1990年のNYへ」



1990年のクランプタワーがグレムリンに破壊された時点に戻った二人は早速計画を実行し始めた。

そこではダニエル・クランプが被害の補償について保険会社と交渉していた。

マーティ 「奴は一社だけしか保険契約していない。こことの契約時点まで戻るんだ。」

二人はダニエル・クランプがXXX損害保険と契約を結んだ1988年に戻り、そこでXXX損害保険の社員と知り合いになった。

二人は彼に目的を伝え保険の免責条項にグレムリンによる破壊を加えることに成功した。


1990年に戻った二人はグレムリンによってクランプタワーが破壊されるの確認し、しかも保険金が支払われないことを知り、ダニエル・クランプは精神に異常をきたしたのだった。

ドク 「少しかわいそうだが、これで奴が大統領になることはないだろう」

マーティ 「201X年に戻ってみよう」



201X年に戻ってきた二人が見たものは以前にみたのと全く同じ光景で、相変わらずダニエル・クランプが合衆国大統領になっていた。

マーティ 「なんてことだ。 歴史を変えることはできないのか。俺たちのしたことは頭のおかしな男を大統領にしただけだったのか」



そこへ一人の屈強な男が葉巻を煙らせながら現れた。「だからお前たちのやることは生ぬるいんだ。」その男はそう言い放つと、

全裸になり過去へと旅立っていったのであった。

お分かりとは思いますが全部嘘です。


Posted by 安儀製餡所 at 21:22 映画コメント(0)

Virgil Caine の末裔

2019年07月18日
「スリー ビルボード」 という映画を遅ればせながら観ました。

映画は評判通りすごくよくできていて特にサム・ロックウェルのレッドネックだかヒルビリーぶりが際立っていました。

ただ、一つ気に入らないのが、この中でクライマックスと言える場面で懐かしい「Old Dixie Down」が流れるのですが、これが「ジョーン バエズ」のヴァージョンだったことです。確かに商業的にはこれが一番成功したのでしょうが、やはり 「The Band」 のを聞きたかったと思いました。

サム・ロックウェル演じるジェイソン・ディクソン巡査はこの歌に登場するVirgil Caine の末裔ということでしょうか。



今回そんなことでふとThe Bandの「The Night They Drove Old Dixie Down」について書いてみます。

The Band

昔見た海外ドラマで中年男性が 「The Weight」を鼻歌で歌っていて、彼の母親に「未だに意味が分からない」という場面がありました。英語が母国語の人間でもそんなものかという感じで私が分からないのも当然かなと安心しました。

この「Old Dixie Down」はテーマが分かり易いのでなんとなくわかったような気になっていたのですが、改めてその歌詞を読んでみるとよくわからないところがたくさんありました。

私が「The Band」の歌としてずっとイメージしていたのは彼らのライヴアルバム「Rock Of Ages」に松山猛さんが書いていたライナーノーツです。

古い話で記憶が曖昧なのですが「彼らの音楽は映画「ラスト ショー」の世界を描いている。」みたいな内容だったと思います。

ある意味「スリー ビルボード」と「ラスト ショー」の世界は時代は違っても舞台が閉塞感で一杯のアメリカ合衆国の田舎という点で非常に近いといえます。

それで「Old Dixie Down」もなんとなく歌詞の意味が分かったような気になっていたのですが、今はインターネットという便利なものもあるので

少し調べてみました。そこで「華氏65度の冬」というブログを見つけました。

このブログには「Old Dixie Down」の歌詞について丁寧に解説がされていました。
 
今回感じたのは、この歌は旧約聖書の「カインとアベル」の物語が色濃く反映されているということです。

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Posted by 安儀製餡所 at 00:02 映画コメント(0)

Pentangle

2019年02月05日
Far from the Madding Crowd

先日 たまたま 女優のCarey Mulligan が Pentangle のファーストアルバムに入っている「Let No Man Steal Your Thyme」を歌っている映像を You Tube で見つけました。




多分以前にInside Llewyn Davis という映画でP.P.M.スタイルで「500マイル」を歌っている映像を再生したためだと思いますが。




Inside Llewyn Davisは評価の高い映画で私も観たのですが、なんか このDavis君のクズ男ぶりが際立っていたというか、あんまり彼の苦悩には共感できませんでした。

Carey Mulliganが「Let No Man Steal Your Thyme」を歌っている「Far from the Madding Crowd」という映画は文豪トーマス・ハーディの小説を映画化したものです。

非常に観たいのですが残念ながら日本未公開ということです。ネット配信かツタヤさんに行くかですが、まあそのうちWOWOWで放映されるでしょう。





Pentangle

Bert Jansch も John Renbourn も亡くなってしまいましたが結成当時のPentangleが「Let No Man Steal Your Thyme」を演奏している映像が残っています。

Pentangleは当時の英国フォークシーンでは既に有名であった二人にジャズ畑出身のDanny Thompson(Bass) Terry Cox(Drum)にJacqui McShee(Vocal)の5人で結成されました。

Pentangle のファーストアルバムのジャケットはメンバーのシルエットのイラストだけでしたので、デビュー当時の映像が残っているのは貴重だと思います。





Willy O Winsbury

私がその昔、Pentangleのアルバムを買いに行った所、レコード会社の契約の関係で国内版はラストアルバムとなった Solomon's Sealしか販売されていませんでした。

それで不本意ながらラストアルバムから聴くことになりました。


その中でこの唄は当時British Trad と呼ばれていた 唄のイメージ通りの内容、「囚われの王、悲嘆にくれる王女、白馬(唄の中では
Dapple Greyですが)の王子様の登場」といった感じです。

この映像の中でBert Janschが珍しく(アパラチアン)ダルシマー を弾いています。 Terry Coxはこの唄ではお休みで4人で演奏しています。

Willy O Winsburyはチャイルド バラッドにも入っている有名な唄で、色々な人が歌っています。またSandy Dennyもメロディーを使って
Farewell Farewell という唄を作りました。






Posted by 安儀製餡所 at 17:57 映画コメント(0)
スウェーデンの世界的ジャズシンガー、モニカ・ゼタールンドの半生を映画化したものです。

私は残念ながらこの人の音楽を聴いたことがないのですが。映画では1960年代のモダンジャズ黄金時代のヨーロッパの状況が感じられて面白かったと思いました。

映画タイトル(邦題)の由来

この映画で一番好きなのはまずこの「ストックホルムでワルツを」という邦題です。(この映画の原題は「Monica」です。)

このタイトルを付けた方には本当に拍手を送りたいですね。

この映画のハイライトシーンである「ビル エヴァンス トリオ」 との共演。ちなみにこの時のメンバーは伝説のトリオではなく スコット ラファロ死亡後、Chuck Israels (b), Larry Bunker (d)とのトリオです。

そこから彼の代表曲である 「Waltz for Debby」 に掛け 「Waltz for Stockholm」 とつけたのだと思われます。



それにしてもジャズクラブでの演奏が衛星中継されるというのは日本では考えられないことです。まさにスウェーデンでは国民的歌手だったということです。

スウェーデン語のジャズ

次に面白かったのはスウェーデンでもジャズは英語で歌うべきだ、いやスウェーデン語で歌うべきだなどという論争が行われていたということがわかったことです。

日本でも70年代初頭にはロックは英語で歌うべきだ、いや日本語で歌うべきだなどという今になっては信じられないようなどうでもいいことが真剣に論じられていたのを記憶しています。



この論争の顛末は英語風に日本語を発声して歌う、あるいは日本語の歌詞の中に英語を適当に入れる方々が商業的に成功したことから一応の決着をみたようです。

モニカ・ゼタールンもスウェーデン語でジャズを歌うという道を開いていきました。

ユーロヴィジョン


日本ではABBAが優勝したことで有名なユーロヴィジョンですが、その注目度の大きさに驚かされました。まるでヨーロッパ チャンピオンズカップ(リーグではない) 並の大きな大会であることが分かりました。

最後は主演のモニカ・ゼタールンド役エッダ・マグナソンがすごい美人だということです。昔からスウェーデンの女優さんは本当に美しいと思います。

ビル エヴァンス






ビル エヴァンスの死について次のような一節を見つけました。


ジャズ評論家で生前のエヴァンスと親しく、「ワルツ・フォー・デビー」「ターン・アウト・ザ・スターズ」の作詞者でもあったジーン・リースは、エヴァンスの最期について「彼の死は時間をかけた自殺というべきものであった」と述懐している。


これと同じようなことが 小林信彦氏の『天才伝説 横山やすし』に書かれていたように記憶しているのですが。(手元に本がないので私の記憶違いかもしれませんが)

二人の天才の死についてとやかくいうのは不謹慎とも思いますが、所詮は素人のブログでの戯れということで。

それにしても私にはこの二人の写真、よく似ているように思えるのですが。





Posted by 安儀製餡所 at 00:31 映画コメント(0)

ドクトルジバゴ

2016年11月06日
ノーベル文学賞を辞退するのでは?といわれていた Bob  Dylan ですが、どうやら無事に受賞することになったようです。

もっともDylan自信は結構ご機嫌で、近年はもっぱらピアノやオルガンを弾きながら歌っていたのが、受賞が発表されてからはご機嫌で珍しくギターを弾きながら立って歌っているということです。

ノーベル文学賞の辞退者

なんでもノーベル文学賞を辞退した人が過去に二人いて、一人はあのサルトル、もう一人が旧ソ連の「ドクトルジバゴ」で有名なボリース・パステルナークだということです。

映画 ドクトルジバゴ

丁度映画の「ドクトルジバゴ」が放送されていたので、見直してみました。

大昔に観たときは全く意味がわからないまま寝てしまいました。

今回もやはり映画の場合どうしても小説のダイジェスト版になってしまい、いくつかよくわからない箇所がありました。

コマロフスキーとジバゴの父との関係、ジバゴの母の死因、ストレリニコフ(パーシャ)とラーラの出逢い、あるいは失脚の原因(なんとなく映画でもわかりますが)

突然現れるジバゴの異母兄等説明不足な感じがします。

後、ストレリニコフ(パーシャ)とラーラの娘はどうなったのでしょうか。

ジバゴ役のオマー シャリフ ですが、誰かに似ていると映画を見ながら考えていたのですが、やっとわかりました。
ロジャー フェデラー によく似ています。

もう一人の主役、ジュリー クリスティー ですが、この様なソフィア ローレン が演じるような役をしているのが今思うと意外です。
私の感じでは「天国から来たチャンピオン」で演じたような役がピッタリとおもっていましたので。

バラライカ


最後にこの映画で重要な役割を果たすバラライカですが、ジバゴの母がバラライカのヴァーチュオーゾでなんでもギター2台分の演奏をするということですが、本当に可能なのでしょうか。

YouTube にあったバラライカの映像を貼ってみますが。

よく知らないのですが、すごいテクニックだと思います。






最後ヴァーチュオーゾといえばやはり 故ジョー パス の代名詞みたいなものですから彼のソロ ギターの映像を




Posted by 安儀製餡所 at 20:36 映画コメント(0)
先日 ボケっとテレビを観ていたら 突然聞き覚えのあるギターのリフが鳴ってきて、なんという曲だったかな?と考えているうちに、
懐かしいサンデー・デニーの歌声か聞こえてきました。

https://youtu.be/4FuaSdOdpzw

Fairport Convention の 「Tam Lin 」というこんな古い曲を使うのはどんな映画なのかと興味をもってしまいました。

映画の紹介をそのまま引用しますと

メグ・ローゾフのベストセラー小説を基にした、異色の青春ドラマ。テロリストによる核爆発と第3次世界大戦によって混乱するイギリスを舞台に、16歳の少女が織り成す決死のサバイバルをいとことの恋を交えながら映し出す。監督は『ラストキング・オブ・スコットランド』などのケヴィン・マクドナルド。『ハンナ』などのシアーシャ・ローナンを筆頭に、『ディファイアンス』などのジョージ・マッケイ、『インポッシブル』のトム・ホランドらが結集。絶望の中でも希望をつかもうとするヒロインの姿に胸を打たれる。

映画の方は「まあこんな感じで終わるのだろう」という期待通りの終わり方でした。

ただ、Fairport Convention のこんな古い曲を使っているくらいだから他にどんな曲を使っているのかと映画のクレジットを興味深く観ていたら、なんと ニック ドレイク がでてきました。

映画のタイトルが「わたしは生きていける」でニック ドレイク の曲を使うのは皮肉に思われます。

私がブリテン島やアイルランドのフォークソングをよく聞いていた頃、当時は輸入盤でしか手に入らず彼のようなシンガー・ソングライターのものは歌詞が分からなく、かつその音楽的(商業的)成功とは程遠いまま幕を閉じてしまった彼の生涯からなにか憂鬱な気分になる気がして聴きませんでした。


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Posted by 安儀製餡所 at 21:31 映画コメント(0)
リンゴ・スター ロックの殿堂入り

今年の「ロックの殿堂」にリンゴ・スターが選ばれました。

先日、ラジオを聞いていたらゴンザレス三上さん(多分松村さんではないと思う)が

「ビートルズ解散後、メンバーのソロアルバムがでてもリンゴのものだけを買う。なぜならば彼のソロアルバムには未来のビートルズがある、ビートルズにはリンゴがヴォーカルをとる曲がアルバムには必ず一曲入っているが、仮に彼らが解散しなかったとしたら、未来のビートルズのアルバムに入っているリンゴが唄っている曲を予感させるものが彼のソロアルバムにはある。」

 たしかこのようなことを話していました。


彼の功績からは今回の受賞は当然ではありますが、少しはこの映画「ジャージー・ボーイズ」で使われた台詞、リンゴ・スターへのコメントに対する反論の意味もあったのではないか?と勘ぐってしまいます。

フランキー・ヴァリが「ニック(オリジナルメンバーでベーシスト)がなぜ脱退したかいまだに理解できない」と語っていましたが、映画の最後でニックが脱退の理由を語るのですが私はこんなセリフを使って大丈夫なのかとひっくり返りそうになりました。(オリジナルではどうなのでしょうか?)

映画 「ジャージーボーイズ」

『ジャージー・ボーイズ』(Jersey Boys)は、2014年のアメリカ合衆国のミュージカル映画および伝記映画。

フォー・シーズンズの経歴を基にしたトニー賞受賞ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』のクリント・イーストウッド監督により映画化。

さすがにフォー・シーズンズはリアルタイムで聞いていません。むしろあのバニー・マニローのカヴァーで知っている程度です。

この映画の背景になっているニュー・ジャージーの街、アメリカのショー・ビジネスの世界については小林信彦氏が週刊文春のコラムに度々書かれています。(他の本でも書かれているかもしれませんが)

監督 クリント・イーストウッド

クリント・イーストウッドは今さら語るまでも無くアメリカを代表する俳優、映画監督ですが、彼と音楽、特にジャズとの結びつきは非常に強く、彼自身もピアノを弾きます。

初監督の作品も「Play Misty for Me」(邦題「恐怖のメロディ」)ですし、ジャズの巨匠であるチャーリー・パーカーを題材とした『バード』を監督、プロデューサーとして『セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェイサー』を製作しています。風の噂でビル・エヴァンスの生涯を映画化・監督すると聞いたのですが興行的に失敗するのが目に見えていたのか、消えたようで残念です。

クリント・イーストウッドは『バード』を撮った頃「アメリカ合衆国のオリジナルの文化と呼べるものは西部劇とジャズである。にもかかわらず、現代のアメリカはこの二つを蔑にしている。」と語っていました。

この映画が公開される前の日本の文化人(?)達のクリント・イーストウッド監督作品の評価は「タカ派のB級映画」という感じでしたが、その後評価は一変したようです。

ただクリント・イーストウッド自身はあくまでもアメリカ・オリジナル文化の精神に則った娯楽映画を撮り続けています。

最後に Misty を 聞きたくて探していたら、ニュー・ジャージー出身の20世紀を代表するスーパー・スター フランク・シナトラが唄っているものがありましたので。






Posted by 安儀製餡所 at 20:05 映画コメント(0)

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