「サッカー界には2種類の監督しかいない。首になった監督とこれから首になる監督だけだ」と言われる中で、ハインケスは名監督として穏やかに監督業から引退しました。

今や名監督として有名なユップ・ハインケスですが、現役時代はボルシア・M.Gのエースストライカーとして有名でした。



ハインケスのボルシア・M.G時代

G.ネッツアーがクラブを去った後も活躍しブンデスリーガ三連覇(1975,1976,1977)等、数々の栄光に関わると共に、ブンデスリーガ通算385試合出場220得点を記録した。得点記録に関してはブンデスリーガ歴代3位の成績である。

現役時代は日本ではゲルト・.ミュラーに比べて知名度が低かったのはボルシア・M.Gが国際舞台で優勝していないためと、彼自身ワールドカップ特に西ドイツ大会で活躍できなかったためと思われます。

もっとも彼自身はヨーロッパのカップ戦では64試合に出場し51得点(1試合平均0.80得点)を上げた。これはゲルト・ミュラー、エウゼビオに次ぐ3位の成績であり、UEFA3大タイトル(UEFAチャンピオンズカップ、UEFAカップ、UEFAカップウィナーズカップ)の全てで得点王になっています。

しかしながら、ボルシア・M.Gはヨーロッパのカップ戦で優勝がなく、UEFAカップとヨーロッパチャンピオンズカップの決勝でともにケビン・キーガンのいたリヴァプールFCに敗れます。

西ドイツワールドカップ

西ドイツブンデスリーガのB.ミュンヘンとボルシア・M.Gの2強時代は必然的に代表チームでもゲルト・.ミュラーのライヴァルとなります。

ハインケスは1972年の欧州選手権ではFWの一角としてソ連との決勝戦でも出場していたのですが、1974年の西ドイツワールドカップではゲルト・.ミュラーと併用されず、ほとんど出場機会がありませんでした。

なんとなくベッケンバウアーとネッツアーの対立の被害者のような気もしますが。二人の関係がうまくいっていた1972年の欧州選手権では活躍したのですから。

まあ、当時の西ドイツ代表チームには”中盤の王様”の後ろに”皇帝”がいるという感じでした。(笑)

二人のプレースタイルは私の印象ですが、古い競馬ファンなら聞いたことがあると思いますが((笑)、ゲルト・.ミュラーを鉈(なた)の切味とするとハインケスは剃刀の切味という感じです。

ゲルト・.ミュラー

一方、B.ミュンヘンはクライフの抜けたアヤックスに代わりヨーロッパチャンピオンズカップを1974、75,76と3連覇します。当時は優勝クラブはリーグ優勝しなくとも無条件で翌年も出場できました。

ゲルト・.ミュラーは1970年メキシコ ワールドカップで得点王になり、1972年欧州選手権、1974年西ドイツ ワールドカップでも大活躍します。

特に西ドイツ大会では決勝の対オランダ戦で優勝を決めるゴールをあげます。

ボンホフが右サイドを突破してグラウンダーのクロスを入れます。ミュラーは3人のオランダDFに囲まれていますが、クロスが通りトラップしたボールを自分の後ろに残し、振り向きざまシュート、ブロックに来るDFの股間を抜きます。これが決勝点となり、西ドイツは優勝します。

東京12チャンネル

さて余談ですが、この試合は日本で初めて衛星生中継で放送されたワールドカップの決勝戦でした。しかも驚くことにそれがNHKではなく東京12チャンネル(現在のテレビ東京)だったということです。さらに信じられないことに日本のマスコミには全く話題になりませんでした。(今で云う”報道しない自由”という奴です) さいわいにも私はテレビで見ることができました。

これも余談ですが、この後テレビ東京はヨーロッパ選手権の決勝戦も日本で初めて衛星生中継し、私は伝説のファンバステンのボレーシュートを見ることができました。




1972年欧州選手権

この大会はG.ネッツアーとベッケンバウアーの関係が良好で西ドイツが圧倒的な強さで優勝した大会として有名ですが、ミュラーとハインケスもともにFWで出場していました。この当時は3トップが主流でミュラーがCF、ハインケスは左右のウイングの一角という感じです。

西ドイツがウエンブリーでイングランドに完勝したことで知られている準決勝のファーストレグですが、今回初めてフルで観たのですが、この試合ではハインケスは出場していなく、ヘルト、グラボウスキーという典型的なウイングプレーヤーが出場していました。

https://youtu.be/H8h37NSQTKw

このソ連との決勝戦、特に1点目は当時の西ドイツスター達のそろい踏みという感じで圧巻です。
ベッケンバウアーのドリブル突破からネッツアーのボレーシュート、これがゴールポストにあたりリバウンドをハインケスがシュート、ゴールキーパーがはじいたところをミュラーが押し込みます。

https://youtu.be/PQASKhfs9Cs


この動画はスペインとの親善試合で、ハインケスは2得点をあげます。最後にG.ミュラーが珍しく決定機を外します。



現役引退後

ハインケスは西ドイツやスペインなど様々な国のクラブで監督をつとめ、皮肉なことにB.ミュンヘンの監督として大成功を収めます。

ゲルト・.ミュラーは現役引退後、クラブの監督にはなりませんでした。現役引退後、アルコール依存症になったことも影響したのかクラブの監督という過酷な生活を送ることを選ばなかったのでしょう。

1992年から2014年まで、バイエルン・ミュンヘンサテライトチームのアシスタントコーチを務めていました。華々しかった現役時代からは少し寂しい気もしますが。


Posted by 安儀製餡所 at 18:17 サッカーコメント(0)

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