今年も春のゴールデンウイークは緊急事態宣言下で過ごすことになってしまいました。
昨年同様私どものような食品関係のものにとっては厳しい状況になっています。

やはり人が動かないことには私どもが関係する商品は売れません。

そんな中でも今年は春の珍事というか例年にはないことがありました。

次の事は私は専門家ではありませんので、あくまでも私の推測です。今年流行りの”エヴィデンス”はありません。

1.花粉症の症状がでなかった

この20年ほど春になれば花粉症に苦しめられ憂鬱でした。それが今年は花粉症の症状が全く出ませんでした。

花粉症対策として特に例年と違ったことを行ったわけではありませんでした。

そこで思い当たることは、コロナウイルス対策として、例年以上に帰宅時の手洗いを頻繁に行なった。また外出時のマスクの着用。訪問、及び訪問者数の減少。

案外コロナウイルス対策として行なったこれらが花粉症にも効果があったのではないかと自分では思っています。

2.ノロウイルスによる食中毒が話題にならなかった

例年冬になるとマスコミを賑わすノロウイルスの食中毒、少なくとも今年は私がニュースで見ることはありませんでした。

原因として推測されるのは

①マスコミお得意の「報道しない自由」があったのではないか。

実際にノロウイルスによる食中毒の件数が減少したのかどうかは私には知る由もありません。コロナウイルスによる煽り報道に血道をあげていたのでニュースとしては無視したのかと推測できます。

②次に推測できるのはコロナウイルス対策として消費者の手洗いの回数が増えたことが考えられます。

コロナウイルス過であっても私たち製造業者の衛生管理は従来と特に変わったことをするわけではありません。つまり消費者サイドでの感染が抑えられたのかもしれません。

3.最後はインフルエンザの流行が抑えられたことです。

まあ、これもあくまでも私の感想ですが、あまり耳にすることはありませんでした。

考えられる理由としては例年以上に多くの人が予防接種をうった、コロナウイルス対策がインフルエンザの流行を防ぐのに効果があった。

どなたか検証してもらえないでしょうか。

春の珍事

最後に大昔の野球映画について、これは子供の頃、父に教えられてテレビで放送されたのを観たのですが、面白かったことは憶えています。

https://youtu.be/7x6Q7jQxfy8


そういえば、おなじように古い野球映画の「蘇る熱球」とかも同時期に観ました。

実はブログを書く前に「春の珍事」でGoogle検索したら「春の珍事 阪神タイガース」というのが出てきて思わず笑ってしまいました。

とにかく今年は阪神タイガースは絶好調です。


タグ :春の珍事

Posted by 安儀製餡所 at 19:30 その他コメント(0)
緊急事態宣言以来、結果的に暇で自粛となってしまいました。

時間があったので「COLD WAR あの歌、2つの心」を観たのですが、すっかり引き込まれてしまい何回も観てしまいました。

冷戦時代のポーランドとパリを舞台にしたピアニスト ヴィクトルと歌手 ズーラの物語。

映画全編を通して形を変えて歌われる、ポーランド民謡「二つの心」




何回か観てるうちに「これは近松門左衛門の心中もの」という気がしてきました。

最初は冷戦をものともしないズーラの行動力に感心したのですが、やがて彼女の方がヴィクトルに振り回され、彼女の献身にかかわらず行き場を失くしてしまった二人はやがて死を選んでしまう。まるで近松門左衛門の世界だと思いました。(監督がどういうかは知りませんが)

最初観たときにラストシーンに何か違和感がありました。

ポーランドはローマ法王が出るくらい熱心なカトリック教国で、劇中では二人とも信仰があると語っていたのに心中(自殺)というのはどうなっているのかという点です。

ヴィクトルは「音楽バカ」というか状況を無視して自分のズーラへの思いだけで行動してしまう。結果的に状況を悪化させる。

ズーラは困難な政治状況の中で現実的な解決策を考え、実行する。

それが密告であったり、偽装結婚であったり。

そして最後は二人の死という悲劇で終わります。

以下は映画のあらすじ(ネタバレ)です。

1949年

冒頭から イリアンパイプみたいな楽器(ポーランドでは民族、地域により5種類あるとのことです)とフィドラーによる唄と演奏、初めて見た足踏みのアコーディオン。

ポーランドの民族音楽舞踊団を結成すべくヴィクトルとイレーナは民族音楽(フォークソング)を収集している。

そしてそのオーディションでヴィクトルはズーラという若く魅力的で野心家の女性に興味を抱くが、イレーナは彼女に危険な香りを感じたのか、自分を農村出身であると偽っていること、父親を殺害したために保護観察中の身であることヴィクトルに告げる。

おそらくヴィクトルとイレーナは関係があったと思われるが、ヴィクトルがズーラに惹かれて行くのが分かっていたのでしょう。

ヴィクトルはレッスン中、ジャズコードにも柔軟に対応するズーラに西側の音楽界でもやっていける才能を感じる。

1951年

ワルシャワでヴィクトルとイレーナは東側諸国へのツアーと引き換えに、プログラムに共産主義のプロパガンダを入れるように当局から圧力をかけられる。イレーナは反対するが、舞踏団の管理部長であるカチマレクはプロパガンダを入れることに同意し、イレーナは舞踊団を辞めてしまう。そしてヴィクトルとズーラは関係を深めていく。

スターリンの肖像画が描かれた垂れ幕の前で歌う舞踏団。このような映像は今でも某国で見ることができます。共産主義というのは変わらないものです。
昔観た映画『祭りの準備』で竹下景子が左翼の青年に影響されてしまい江藤潤のシナリオをけなすのと全く同じセリフをカチマレクはイレーナに語ります。

ズーラはヴィクトルにカチマレクの命令で彼の行動を密告していたと告げる。彼女の置かれている状況を考えれば致し方なく、カチマレクに適当な報告を入れるというのは最善の策なのですが、彼は彼女を許すことが出来ず、去ろうとする。

1952年

ヴィクトルは舞踏団が東ベルリンを訪れた際にズーラに西側に亡命することを告げ一緒に行くよう誘います。

この当時は「ベルリンの壁」ができる以前でした。しかし約束の場所にズーラは現れず、ヴィクトルは一人で亡命します。

1954年

ヴィクトルはパリのジャズクラブでピアノを弾いて暮らしている。

そして公演でパリに来たズーラと密会する。

ヴィクトルはズーラにあの時に来なかった理由を尋ねると、彼女は自分に自信がなかったのだと答える。そして二人はお互いの気持ちを確認する。

1955年

ヴィクトルはユーゴスラビアまで行き、目的は不明だが舞踏団の公演を鑑賞する。

そして案の定、いくら鉄のカーテンの締まりが緩いユーゴスラビアとは言え、カチマレクに通報され現地警察に捕まるが幸いにもワルシャワではなくパリに送還される。

ズーラは観客の中にいる彼を見つけて激しく動揺する。

この時にヴィクトルの愛情を確信し、彼を追ってパリに行くことを決意したのかもしれません。

1957年

ヴィクトルはパリで映画音楽の作曲家として働いており、そこに突然ズーラが現れる。

彼女はシチリアのイタリア人と結婚したことで合法的に出国していたが、教会で式は挙げてないと言う。そしてヴィクトルと暮らし始める。この瞬間が二人の幸福の絶頂であった。

ヴィクトルはズーラをソロ歌手として売り出す。しかしズーラは以前と違い自分の歌に信念を持っており、ヴィクトルの元恋人が創ったフランス語の歌詞は俗悪に思え、レコーディング中の仕事が彼らの関係性に亀裂を生み、彼女は酒に溺れ始めてしまう。

ズーラから見て今のヴィクトルは共産主義に代わって西側の商業主義に支配されていると感じられた。もはやヴィクトルの彼女に対する愛情は消えていて今は商品としかみてないように感じる。

パリでの暮らしに失望したズーラはレコードを1枚遺してポーランドに帰ってしまう。

ヴィクトルはパリのポーランド領事の助言を無視してズーラを追ってポーランドに帰国する。

やはり、ここでも全く勝算のない行動を起こします。
まあ、トム・クルーズでもない限りこんなことはしないでしょうが、やはり逮捕されてしまいます。

1959年

ズーラは収容所でヴィクトルと面会する。

そこで彼は祖国を裏切ってスパイ活動を行った容疑で「寛大」にも懲役15年を宣告されたことを明かす。彼の手は拷問により痛めつけられており、音楽家としての道は閉ざされていた。

命がけでズーラを追ってきたヴィクトルに対し彼への気持ちがよみがえったズーラは彼を助け出すと約束する。

1964年

釈放されたヴィクトルはクラブでカチマレクと歌手を続けるズーラと再開する。

ズーラはカチマレクと結婚することでヴィクトルを早期に釈放させる取引をしており、また男児を出産していた。

「この男児の父親が誰か」は彼女のみぞ知るというところです。

ズーラは今はポーランド国内での成功と引き換えにパリ時代より悲惨な音楽を歌っている。

ヴィクトルとズーラはトイレに逃げ出し、悲惨で敗残者となった彼女は彼に助けを求める。

2人はバスに乗って廃墟になった教会に行き、結婚式を挙げる。2人は錠剤を飲んだ後に外へ行き、座って景色を眺める。

ズーラが「向こう側」(つまり此岸(しがん)から彼岸の世界)から見ようと提案すると2人は立ち上がって画面上から去り、風に揺れる麦畑だけが映し出される。



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Posted by 安儀製餡所 at 21:37 音楽その他コメント(0)

漫才 PCR検査

2020年05月17日
青木:皆さん フリージャーナリストの青木で~す。

玉川:テレビ朝日の玉川で~す。

青木、玉川:二人そろって ブルーボール で~す。

青木:玉川君、どうやね最近の景気は?悪い風邪が流行ってるけど。

玉川:ほんまにさっぱりやわ。

青木:風邪にうつったらあかんていうて家にばっかり居てるし。

玉川:ほんまやで、僕もオカンに「外に出るな、」て言われてるは。でもな家にばっかり居てたらイライラしてよう揉め事があるね。

青木:そう言えばうどん屋やってる君のオジサン戯作者の平田はんと喧嘩したんやて。

玉川:そうやね。オジサン、平田はんとこに出前に行ったんや。まあそこで社交辞令で「外出自粛で不景気やしお互い苦労しますなあ」てゆうたん や。そうしたら君も知ってると思うけど平田はん威張ってるやろ。そんで「お宅らみたいなうどん屋は風邪が収まったらなんぼでもうどん作って売ったらよろしいけど私ら芝居はそうはいかん。一緒にせんといてくれるか。」と言われたんや。

青木:オジサン怒ったやろ。

玉川:そら怒ったよ。「何様や思うてんね。この河原XXXが。この界隈ではあんたとこに出前する食い物屋はないで。」言って喧嘩して帰って来たんや。

青木:オジサンは平田はんみたいなインテリ嫌いやしなあ。

玉川:そうやね。オジサンこの間も市会議員の高井さんに連れられて無国籍パブ”Liken"ていうキャバクラに行ったんや。

青木:おいおい、外出自粛違うんかい。

玉川:まあ、ええやんか。そこのキャバ嬢にな、オジサン「わたし、あんたみたいな高卒はいややねん」て振られたんや。それで余計気が立ってたんやと思うわ。

青木:ほんまかいな、気の毒になあ。それはそうとして、君とこの会社でもえらい風邪が流行ってるそうやないか。

玉川:そうやね。君も知ってるやろ、営業部のエース富川君。彼が風邪ひいてしもたんや。しかも悪いことに風邪ひいたこと隠して出社したもんやから社内だけやなくてお得意さんにもうつしてしもたんや。

青木:そら、あかんな。

玉川:そうやろ。彼は日頃からみんなに「風邪ひいたら会社に来たらあかんで」て言ってたからなあ。可哀想にみんなにいろいろ言われてんねん。

青木:そうか、可哀想になあ。あんまり同情してもらわれへんのやなあ。

玉川:そういえば、うちのオカンが言うんやけど、この風邪には何とかいう検査がええんやてなあ。

青木:君それはPCR検査違うか。PCR検査ゆうたら

ポリメラーゼ連鎖反応(ポリメラーゼれんさはんのう、英語: polymerase chain reaction)のことで、DNAサンプルから特定領域を数百万〜数十億倍に増幅する一連の反応またはその技術である。英語表記の頭文字を取ってPCR法、あるいは単純にPCRと呼ばれ、「ポリメラーゼ・チェーン・リアクション」と英語読みされる場合もある。

DNAポリメラーゼと呼ばれる酵素の働きを利用して、一連の温度変化のサイクルを経て任意の遺伝子領域やゲノム領域のコピーを指数関数的(ねずみ算的、連鎖的)に増幅することで、少量のDNAサンプルからその詳細を研究するに十分な量にまで増幅することが目的である。医療や分子生物学や法医学などの分野で広く使用されている有用な技術であり、開発者はノーベル賞を受賞した。

のことや。

玉川:それでな、オカン言うには、この検査やったら風邪が収まるていう話なんや。

青木:ほな、PCR検査違うな。PCR検査は治したりせえへんで。

玉川:でもな、この検査受けたら風邪ひいてるかどうか分かるていうことなんや。

青木:はな、やっぱりPCR検査やないか。PCR検査言うたらこの風邪にかかってるかどうか陰性か陽性かわかるんや。

玉川:ほんでや、この検査一杯やったら風邪が流行るのが収まる言うて外国では日本より仰山やってるんや。

青木:ほなPCR検査違うなあ。ヨーロッパでもアメリカでも日本より仰山PCR検査やってるけど死亡者数も死亡率も無茶苦茶高いで。

玉川:オカンが言うには、「これには裏技があるんや、この検査だけではあかんのや。」 オトンとオカンえらい喧嘩したやろ。

青木:聞いてるで。

玉川:実はオカンがコッソリとオトンのスマホに位置情報のアプリ入れたんや。これがなかったら役に立てへんらしいんやけど、それでオトンがキャバクラ行ったのがバレたんや。

青木:災難やなあ。けどそうしたらやっぱりPCR検査やなあ。

玉川:ただな、この検査えらい混んでてな。しかも保健所は土、日や祭日やってくれへんねん。

青木:ほんなら、PCR検査違うなあ。PCR検査やったら保健所が頑張って休みなしでやってるで。

玉川:そんでな、その検査は凄く難しくてなかなか受けさしてもらわれへんねん。

青木:なんやて、たかが検査やないか(大声で怒りながら)、なんで他所の国みたいに仰山受けられへんね。

玉川:そうやろ、澁谷さんていうWHOの方から来たていう偉い人がな。

青木:「方から来た」てなんか胡散臭いなあ。うちにもよく電話かかってくるで。NTTの方からとか関電の方から言うて胡散臭い電話が。

玉川:ちゃうちゃう、この人は賢い人でWHOの上級顧問やで。

青木:WHOに上級顧問ていう役職ないと思うけどなあ。

玉川:そう、なんでもWHOのテドロスていう偉い人の個人的顧問らしいわ。

青木:なんか、ますます胡散臭いなあ。

玉川:その人が言うには、この検査を国民全員に受けさせたら医療崩壊も起こせへんらしいね。

青木:ほんなら、やっぱりPCR検査違うなあ。PCR検査みたいなん国民全員が受けたら終わるのに2年くらいかかるで。お金もえらいかかるし、だいいち2年もかかったら最初に受けたらその間に風邪うつってまうで。

玉川:まあな、この間もヨーロッパから帰って来たお医者さんがPCR検査なんか無茶苦茶増やしたらあかんで言ってたなあ。

青木:ほんなら、あかんやんか。

玉川:大丈夫。うちの会社がもみ消したから。

青木:君とわやってられんわ。

青木、玉川:失礼しました。
 
自粛でYou Tube 見てたら、玉川さんと青木さんという二人が結構有名みたいなので戯れで二人をネタにミルクボーイ風の漫才の台本を書いてみました。

暇な人は読んでください。








タグ :PCR検査

Posted by 安儀製餡所 at 23:00 その他コメント(0)
コロナウイルス過の影響は様々な産業に影響を及ぼしています。

私たち製餡業者にとっても3月以降非常に深刻な状況に陥っています。

大口ユーザーである和菓子店では緊急事態宣言から進物、手土産などの需要がなくなりました。

観光地の土産物用の売り上げに至っては全然ありません。

比較的堅調であったいわゆる街の和菓子屋さん、パン屋さんにしても緊急事態宣言が出てからは休業するところも増えてきました。

大手のパン屋さんは「巣ごもり需要」とかで比較的潤っている会社もあるとは聞きますが。

このような未曽有の災厄は得てして人の様々な面を浮かび上がらせることがあります。

平田オリザ氏の製造業に対する発言

平田オリザという人がすごい発言をされました。

https://blogos.com/article/455346/

零細といえども私も経営者の端くれですので平田オリザ氏の気持ちも分かります。

まあ、製造業の末端に携わる者としては少し腹も立ったのですが同時に関西人としては故桂米朝さんの言葉を思い出してしまいます。

末路哀れは覚悟の前やで

わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。

『芸人は、米一粒、釘(くぎ)一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。

ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』


もっとも平田オリザ氏のことですから「演劇を落語なんかと一緒にするな❕」と仰るかもしれませんが。(笑)



Posted by 安儀製餡所 at 19:47 その他コメント(0)
NHKから現在、今年の紅白歌合戦にクイーンと出演交渉中であると発表がありました。

昨年の紅白歌合戦でAIによる「美空ひばり」を出演させたNHK会長は「今年は同様にフレディ・マーキュリーを復活させる。現在残りのメンバーと交渉中で、決まればVR映像と共演してもらう。NHKの技術をもってすればヒットラーでもスターリンでも復活させることができる。できないのはイエスキリストだけだ。」と発言し全世界に波紋を呼んでいます。

これに対し、芸能界引退後政治家に転身しこの度N党の党首に就任した 沢尻エリカ氏 は「NHKはいつからフランケンシュタイン博士の末裔になったのか?これでは受信料は払えない。」とインタビューに答えていました。

言うまでもなく、全部嘘話です。
Posted by 安儀製餡所 at 09:43 その他コメント(0)
大阪(関西)の地盤沈下について少し前にあれこれ書いてきましたが、平成になってから確実に東京(関東)に勝っていたものがあります。

JRAでは関西が確実に関東を凌駕していました。近年はその差が縮まってきたとはいえ、2019年12月11日現在で賞金獲得額の比率は栗東61%,美浦39%です。

その理由としては

栗東トレセンに坂路コースができた。
関東の有力馬主が栗東トレセンに馬を預けるようになった。
東西の交流が活発になり関西馬が早いうちから直線に坂のある関東のコースを経験出来るようになった。
競走馬の購入が庭先取引から市場セリになり、有力馬が関西にも入厩されるようになった。
栗東の若手調教師による技術革新。

その他色々な理由が考えられますが、とにかくそれまでずっと劣勢であった関西馬が関東馬に勝ってきたのです。
このことから、他の分野でも決して大阪の地盤沈下を止めることは不可能ではないと言えます。

その昔、作家の故 山口瞳さんが「来年のダービー馬のことを考えたら死ねない。」と書かれていたのを読んだことがあります。
チャーチルが「一国の首相になるよりダービー馬のオーナーになるほうが難しい」といったぐらいです。

しかし、どうでもいい話ですが、私などはだいぶ前から「どうせサンデーサイレンスの産駒の一番強い馬に武豊騎手が騎乗して勝つのか。」と思って全く興味が無くなりました。(ただし、武豊騎手の功績を批判するつもりは全くありません。)まあ、いまはディープインパクトかキングカメハメハですか。とにかくエリート中のエリートしか脚光を浴びることがないようです。

三冠馬の価値の低下

日本では三冠馬になることはサラブレットにとって最高の栄誉とされてきました。
しかし近年三冠最後のレースである菊花賞の価値が低下して久しく、イングランドやアイルランドみたいに二冠を取った馬が菊花賞(セントレジャー)をパスしたり、アメリカのように春の皐月賞、NHK杯マイル、ダービーを三冠にするという時代が来るかもしれません。

タニノムーティエ

幻の三冠馬とよ呼ばれている馬は何頭もいますが、菊花賞や三冠馬の価値の低下を思うと、なぜか、この昭和の時代の名馬のことを思い出しました。

https://youtu.be/WqFzHCsfbyY

今でいう2歳夏のデビューからダービーまで、その勝利を含めて15戦12勝という現在では考えられない過酷なローテーションで走り抜けました。

昭和の時代は東西でそれぞれ2歳チャンピオンを決め、翌春になって関西馬が東上して初めて対決するというのが恒例でした。
昭和44年はタニノムーティエとアローエクスプレスがそれぞれ圧倒的な強さで東西の2歳チャンピオンになり、翌年のクラシックレース(今となっては死語ですが)は盛り上がりました。

スプリングS、皐月賞でのアローエクスプレスとの激闘、ダービーでは新しいライバル ダテテンリュウを下し圧倒的な強さで二冠馬に輝きます。

日本の高度経済成長が一つのピークを迎える昭和45年、その姿は世界中からエコノミックアニマルと揶揄されるくらい働いて奇跡の経済復興を成し遂げた日本人を映し出してるようでした。

アローエクスプレス

対照的な二頭。タニノムーティエはワンマンオーナーのハードトレーニングを生き残り、ムーティエ街道と呼ばれた3~4コーナーの大外を回って凄まじい追い込みで勝ち続ける、かたやアローエクスプレスは雄大な馬体を誇る良血馬でそのスピードを活かして先行して抜け出す。当時は今のように関西の2歳馬が関東でレースに出ることはなく、エリート対叩き上げが東西を代表して対決するということで盛り上がりました。

今でいう牡馬のG1レースは2000m以上しかなく、血統的に距離適性に不安があったアローエクスプレスは結果的に皐月賞こそが唯一のチャンスだったと言えます。現在ならこの馬こそ別の選択肢を取ったでしょう。

夏以降の一変する運命

夏をオーナー所有の牧場で過ごすのですが、ここの環境が最悪で競走馬として致命傷の喘鳴症を発生してしまいます。

現在なら出走させるだけでSNSで叩かれるでしょうが、陣営は菊花賞出走に踏み切ります。

https://youtu.be/d4SB2p-XxLg

今思えば当時は大らかな時代でした。ファンもタニノムーティエへの餞別代りか単勝馬券もそこそこ売れました。

この動画にあるように3000mを完走することさえ危ぶまれていたタニノムーティエが一瞬往年の豪脚を使い京都競馬場に地鳴りのような大歓声が起こります。

タニノムーティエとアローエクスプレスのその後

ご存知の通り、種牡馬としてはアローエクスプレスは産駒にそのスピードを伝え成功しますが、ハードトレーニングによって培われた競争能力は産駒に遺伝されなかったのかタニノムーティエは失敗に終わります。

ただしこの後、弟のタニノチカラが大活躍をし、この血統の優秀さが証明されたので残念です。

現在はこの時代と比べると本当に進歩し洗練されたように思います。昔は8大競争を勝つことが究極の目的だったのが、今やG1競走は増産され、距離、性別で分けられ、しかも海外まで選択肢は増えています。調教技術の進歩は目覚ましく有力馬はG1から休み明けでG1というローテーションで出走することも珍しくありません。

しかし今思うと、当時の泥臭いというか人間臭いというか、それも魅力的に感じます。

菊花賞でのタニノムーティエへの大声援も、当時でもシンザンという成功モデルがあったはずですが、それでも毎月のように走り勝ち続けダービ-まで15回も出走しファンを楽しませ、いわば人災によってターフを去ることになってしまったことに対して自然と起こったのでしょう。


アローエクスプレスで話題になった当時若手だった柴田騎手からベテラン加賀騎手への乗り替わり、この悔しさを糧に柴田騎手は一流騎手になられたとのことですが、エージェント制が進んだ現在ではそもそも若手騎手がアローエクスプレスのような馬に乗ることはありません。今なら最初からルメール騎手が乗っています。(笑)

まあ、昔と比べて味気なく感じるのは私の年のせいでしょう。(笑)












Posted by 安儀製餡所 at 18:53 その他コメント(0)

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