早いもので2022年8月も終わりです。

今年はもはやマスメディアによる人災ではないかと思われるコロナウイルス過とロシアによるウクライナへの侵略戦争。

私のような零細の製餡業者にとっては非常に厳し い状況が続いています。

特に原油価格の高騰による甘味料や諸経費の値上がり、また中国のゼロコロナ政策により輸出がストップしたり、ここ数年来の需要減により海外でのインゲン豆の作付面積が大幅に減少しました。海外の農作物の作付は小豆やインゲン豆は減少し、小麦や大豆に移行しました。

私も今年になってからは得意先との値上げ交渉に奔走しています。

それでも少しづつ日常を取り戻すべく、イベントも復活してきました。

6月には私たちが所属している日餡連の総会が3年振りに東京で開催され出席しました。

7月には和歌山市でキタタニ スイーツ フェスタ 2022 に出展。




また奈良県橿原市で開催された日餡連 関西支部 の総会へ出席しました。

久しぶりに人と会ってお酒を飲むのは楽しいものだと思いました。

その間、得意先や取引先、同業者にも今年は色々な変化がありました。


気づけば8月も終わりです。

今の時期になれば毎年のようにこの歌が聴きたくなります。



今年の4月にお亡くなりになった中川イサトさんの歌です。

日本のアコースティックギター フィンガー ピッキング の第一人者であり、教則本を出版したり、様々な海外のギタリストを日本に紹介してきました。

五つの赤い風船の初期のメンバーで、そのギタースタイルもモダン フォークからブリティッシュ フォーク 、アメリカのオールドタイム、マイケル・ヘッジスのような全く新しいタイプの演奏も取り入れてこられました。

たしかカナダのブルース・コバーンともジョイントコンサートをされたと思います。(古い話なので記憶が曖昧なのですが)

いわば、上方落語における 桂米朝さんみたいな存在でした。上方落語の演者が大なり小なり、直接、間接的に米朝さんの恩恵を受けているように日本でアコースティックギターを弾いている人はその恩恵を受けているのではないでしょうか。



イサトさんへのリスペクトに溢れています。


Posted by 安儀製餡所 at 21:43 音楽コメント(0)

Both Sides Now

2022年07月29日
今年になって CODA という映画の影響で何十年振りかで耳にする機会が多かった Both  Sides Now。 

つい先日 ジョニ・ミッチェルがニューポート フォーク フェスティバル に登場した動画を見つけました。




今年はポール・サイモンも出演していました。


ジョニ・ミッチェルについて私などが偉そうに書くことはないのですが、その波乱万丈の音楽人生にまた一つモニュメントが加わったように思います。

ミスタースポックが歌う Both  Sides Now

ついでに意外なものを見つけました。






Posted by 安儀製餡所 at 18:22 映画音楽コメント(0)

Please be with me

2021年11月27日
Duane Allman の最後のスタジオワークとして有名な Please be with me。

エリック クラプトンやイーグルスのオリジナルメンバーだったランディ マイズナーも歌っていますが、元々は
サザンロックのグループの中では異色の存在だった Cowboy のオリジナルです。 作詞作曲はメンバーの一人 Scott Boyer。

レイドバックなラヴソングで Duane Allman が珍しくドブロギターを弾いています。



Please Be with Me
A SONG FOR MY FATHER, DUANE ALLMAN
By
GALADRIELLE ALLMAN




Galadrielle Allman 彼女が2歳の時、24歳でDuane Allman は亡くなりました。したがって父の足跡を書いたこの本は、彼女自身の記憶ではなく調査によって書かれたと言えます。

彼女の名前は当時ヒッピーたちの間で流行っていた『指輪物語』の登場人物の一人(映画ではケイト ブランシェットが演じていた)からDuane Allmanが名付けたそうです。

本のタイトルにAllman Brothers Band の曲ではない "Please be with me" をつけたことにより著者の父に対する想いが伝わってきます。

この本は翻訳されていないので、英語が苦手な私には厳しいので、せめて曲の "Please be with me" を訳すことにしました。

 
この歌で使われている単語は簡単なものばかりで、受験英語みたいな文章が多くなんとなく分かったような気になっていたのですが、
昔から今一つ意味が分かりませんでした。まあ、歌詞の意味なんかどうでもよいと思っていましたが。

曲名 Please be with me の意味


慣用的に使われる言葉で ”Are you with me?" があります。「分かっている?」という感じです。

これは "Do you understand?" を柔らかくした表現で日常的に後者よりよく使われます。
後者はかなり威圧的な表現で親しい間柄では使われることは少ないとされています。

これから類推すれば、”Please be with me” は「分かってくれるかい」みたいな感じでしょうか。(勿論、「一緒にいてくれないかい」でも良いとは思います。) 

Please be with me

Oh my word, what does it mean?
Is it love or is it me
That makes me change so suddenly?
Looking out, feeling free.

それが愛なのだろうか?それとも本当の私なのだろうか?
言葉が一瞬で私を変えてしまう。
外を眺めているだけで、自由な気持ちになる。

Sit here lying in my bed,
Wondering what it was I'd said
That made me think I'd lost my head,
When I knew I lost my heart instead.

ベッドに腰掛けながら不思議に思うんだ、
私が思いもよらないことを言ってしまったことに驚いているんだ、
自分が(君に)夢中だと気付いた時に。

[Chorus:] 
Won't you please read my signs, be a gypsy.
Tell me what I hope to find deep within me.
Because you can't find my mind, please be with me.

「ジプシーになって、私の心を読んでくれないかい。」
「私が本当に望んでいること教えてくれないかい。」
「なぜなら君のままなら私の気持ちは分からないよ、
そうだろう、分かってくれるかい。(一緒にいてくれるかい)」

Of all the better things I've heard,
Loving you has made the words
And all the rest seem so absurd,
'Cause in the end it all comes out I'm sure.

私は今まで素晴らしい言葉を聞いてきたけど
”loving you"は他の言葉をつまらなく感じさせてしまう。
だから最後にはきっとうまくいくよ。

[Chorus:]
Won't you please read my signs, be a gypsy.
Tell me what I hope to find deep within me.
Because you can't find my mind, please be with me

「ジプシーになって、私の心を読んでくれないかい。」
「私が本当に望んでいること教えてくれないかい。」
「なぜなら君のままなら私の気持ちは分からないよ、
そうだろう、分かってくれるかい。(一緒にいてくれるかい)」

Scott Boyer

彼は2018年 2月 13日に亡くなっています。全く知りませんでした。

彼については音楽評論家の天辰保文さんのサイト In-Cahoots で生前のScott Boyerと交わしたインタビューが載っています。

こちらです。
  ↓
https://in-cahoots.net/intv/intv-sb/













Posted by 安儀製餡所 at 16:26 音楽コメント(0)

Chuck Leavell

2021年02月22日



先日WOWOWで放送された「ロックンロールプレジデント」
第39代アメリカ合衆国大統領ジミー・カーター。リベラルな姿勢を貫く彼は、同時に大の音楽好き。大統領在任時の1978年にホワイトハウスにミュージシャンを招いてコンサートを開いた最初の大統領でもある。「アメリカを団結させるものの一つが、僕らが共有し愛する音楽だ」と語る彼は、96歳となった現在も幅広いジャンルのアーティストたちとの交流を続けている。
そんなロックンロール・プレジデント、ジミー・カーターの音楽への情熱と、ボブ・ディラン、U2のボノ、ウィリー・ネルソンら著名ミュージシャンたちとの交友関係にスポットを当てたドキュメンタリー。ほかにポール・サイモン、ナイル・ロジャース、ガース・ブルックス、そして故人となったグレッグ・オールマンも出演。音楽が文化として深く根付くアメリカの一面を知る、興味深いドキュメンタリーといえるだろう。


Chuck Leavell

番組紹介ではB・ディランやウイリー・ネルソンの名前が出ていたのですが、実際は結構、特に前半は元Allman Brothers BandのChuck Leavell のインタビューが中心に進行されていました。(もっともこの時点ではG.Allmanは亡くなっていたので彼にインタビューすることは無理だったこともありますが。)

いまやローリングストーンズのサポートメンバーが彼のキャリヤの中では一番長いとは思います。私も彼を実際に観たのはローリングストーンズの初来日の時でした。

しかしながら、私にとってはChuck Leavellといえば亡くなったDuane Allman に代わって「Brothers&Sisters」から Allman Brothers Band に参加しバンドに従来にはないカラーを持ち込んだキーボープレイヤーとなります。

Allman Brothers BandもDuaneに代わるギタリストを補充するのではなく、キーボードプレイヤーを選択したわけです。これによってバンドの特徴であったツインリードギターによるハーモニーは無くなったのですが、やはりDuaneに代わるギタリストをみつけるのは難しかったのでしょう。代わりにChuck_Leavellの流麗なピアノソロがバンドのもう一つの目玉になりました。(個人的には一緒にLes Dudekも参加すれば良かったのにと思いますが)

特にロック インストロメンタルの傑作 Jessica のピアノソロは彼の存在を世界に知らしめました。

https://youtu.be/vTOozRAJ8dU

彼自身がJessicaのチュートリアル動画を創っています。
動画では「ディキー・ベッツがジャンゴ・ラインハルトがどうのこうの」と話していました。言われてみればJessicaは「Miner Swing」をメジャースケールでロックヴァージョンにしたもののような気がします。

https://youtu.be/n3IApdmQFTY

次の動画は故G.AllmanがStatesboro Bluesの育ての母とも言えるタジ・マハール(もちろん生みの母はBlind Willie Mactell)と共演したものでChuck LeavellやJack Pearsonのご機嫌な演奏が聴けます。

https://youtu.be/duWv1eMNdrk

ジミー・カーターとAllman Brothers Band


当時全米では全く無名だった彼が民主党の大統領候補になれたのはAllman Brothers Band の功績が大であったと言えます。

むかしの音楽雑誌に出ていた記事を思い出しました。

ジェリー・ブラウンと争った民主党の代表選でイーグルスやリンダ・ロンシュタットが彼を推し、オールマンズやマーシャルタッカーバンドがジミー・カーターを推した。さながらアサイラムとカプリコーンの新興レーベルの争いみたいなことが書かれていました。

ところが選挙期間中にオールマンズはグレッグがコカインの所持で逮捕され、司法取引に応じて、仲間を当局に売ったことから他のメンバーが怒り解散。まあ今から思えば星の数ほどある麻薬と関係のあったロックバンドの中でオールマンズを選んだのは何か政治的な思惑があったような気もしますが。
この事件がなくてもバンドの方は解散間近という感じでしたので、個人的にはそれほど驚きませんでした。

このあとグレッグとディキー・ベッツはそれぞれのバンドを結成、Chuck Leavellはオールマンズのラマー・ウイリアムス、ジェイモとシー・レベルを結成します。

Simple Man

ジミー・カーターに関してはこの時のChuck Leavellの話が一番興味深かったと言えます。

彼はこう言えたはずだ「ごめんグレッグ、ごめんオールマンズ。これ以上は危険すぎる。今までありがとう、グッバイ」
でも見捨てなかった。

まあ「グッドワイフ」に登場するアラン・カミング扮する選挙参謀のイーライなら卒倒しそうな行動をとったわけです。

結局このあたりが「大統領としてはどうなのか?」とも思いますが、ある意味彼の人物像を表しているのかもしれません。

政治の事はよくわかりませんが、彼の任期中に起こった様々な事件、「イラン大使館人質事件」「ソ連のアフガン侵攻」「モスクワオリンピック不参加」などの判断にも表れていたような気もします。

彼の就任式の模様が番組で紹介されていましたが、今から思えば当時は随分大らかな時代だったと思います。

タカ派で有名な共和党支持のジョン・ウエインがスピーチしたりするのはどういう経緯があったのかわかりませんが、国家内の対立が増している米国の現状を考えれば複雑な気持ちになります。

私が記憶している限りでは民主党内で対立候補を応援していたリンダ・ロンシュタットも出演して歌ったと思います。


就任式のパーティーには招待されていないCS&Nもやって来たとのことです。やはり孤高の人ニール・ヤングは行かなかったのは彼らしいと思います。もっとも Southern Man を創った張本人としては大変行きづらいでしょう(笑い)。

このドキュメンタリー映画の中で一番最後に流れていた Lynyrd Skynyrd の Simple Man 。カーター氏には一番ふさわしいかと思います。

https://youtu.be/sMmTkKz60W8

The Tree Man

オールマンズ解散後結成したシー・レベル

非常に評価の高いグループだったのですが数枚のアルバムを創った後解散。その後Chuck Leavellはローリングストーンズのサポートメンバーとなりました。

現在はローリングストーンズのサポートメンバーとしての活動をメインにミック、キース、ロニーのソロ活動もサポートしたり、クラプトン、ジョージ・ハリスン、デヴィッド・ギルモア、ガヴァメント・ミュール、ジョン・メイヤーのツアーとレコーディングにも参加しています。

もちろん、むかしの仲間オールマンズとも。

またアメリカの環境林業界では、優秀な木材生産者(tree farmer)として「ナショナル・ツリー・ファーマー・オブ・ザ・イヤー(National Tree Farmer of the Year)」にも任命されており、リーヴェルは「1本の木を伐採したら、後世のために2本の木を植えよ」と語っています。

まあ悠々自適とも言える暮らしで羨ましいです。

彼に関するドキュメンタリーも創られたそうです。



The Brothers 2020


次の動画は2020年3月にM.S.G.で行われたAllman Brothers Band の結成50周年(諸事情で途中だいぶ抜けていますが(笑い))記念コンサートです。

ここにChuck Leavellも参加し、なんとBlue Skyではリードヴォーカルをとっています。(ちょっと頼りないですが)

Warren Haynes に「せっかく来たんだから歌わせろ」と言ったんでしょうか。

この後世界が一変してしまうとは誰も思っていなかったでしょう。

https://youtu.be/OVOEJeZJOys





Posted by 安儀製餡所 at 17:18 音楽コメント(0)
ほとんど意味不明の歌ばかりの Music From Big Pink の中で この Long Black Veil だけは歌詞を読んですぐ内容がわかりました。

このアルバムの中で wheels On fire や I Shall Be released といったディランの歌を除くと唯一のカヴァー曲であったからかもしれません。

そういうことで、最初 Music From Big Pink では The Weight などよりよく聴いていました。


この歌は一言でいうと”不倫”という奴です。

今年も日本では芸能人やら政治家(?)とかの不倫騒動というのが結構あり、彼らはなぜかわかりませんが、謝罪会見を開きました。
 


Ten years ago, on a cool dark night
There was someone killed 'neath the town hall light
There were few at the scene, and they all did agree
That the man who ran looked a lot like me

The judge said "Son, what is your alibi?
If you were somewhere else, then you won't have to die"
I spoke not a word, although it meant my life
I had been in the arms of my best friend's wife

She walks these hills in a long black veil
She visits my grave where the night winds wail
Nobody knows, no, and nobody sees
Nobody knows but me

The scaffold was high and eternity neared
She stood in the crowd and shed not a tear
But sometimes at night when the cold wind moans
In a long black veil, she cries over my bones

She walks these hills in a long black veil
She visits my grave where the night winds wail
Nobody knows, no, and nobody sees
Nobody knows but me


この歌の主人公は、都々逸にある「人の女房と枯れ木の枝は、登りつめたら命懸け」というやつで、結果「墓場まで秘密を持っていく」ということになります。

Posted by 安儀製餡所 at 20:21 音楽コメント(0)
「Once Were Brothers」という映画が公開され、、日本でも少しはThe Band のことが話題になっているので、昔からのファンとしては嬉しく思います。



映画の方は残念ながらまだ観ていませんが、生存しているメンバーの一人、ロビー・ロバートソンが語っている内容が中心らしく昔出版されたレヴォン・ヘルムの本と比較すると興味深いと思います。

Music From Big Pink からセカンドアルバムThe Bandへの変化

ファーストアルバムのMusic From Big Pinkでは曲作りにリック・ダンコ、リチャード・マニュエルらがクレジットされていたのが、セカンドアルバムではほぼ全曲がロビー・ロバートソンの作品ということになっています。

これについてはレヴォン・ヘルムの本では

「レコード会社はグループにスターを作りたかったんだ。それでセカンドアルバムのすべての曲がロビー・ロバートソンのものになったんだ。
実際は他のメンバーも参加していたのに。セカンドアルバムのクレジットを見て驚いた。」

この辺りがThe Bandの特殊事情というか、普通のグループならヴォーカリストをスターにすればよいだけなのですが、レコード会社は3人のヴォーカリストではなくソングライターのロビー・ロバートソンをスターにすることを選んだのでしょう。

「このことから他のメンバーは創作意欲を失くしドラッグに溺れていった」あくまでもレヴォン・ヘルムの見解です。

3作目のStage Frightは前2作と比べるとトーンダウンしたという評価です。Stage Frightは他のメンバーの協力はなく、ロビー・ロバートソンが全て作詞作曲しており、この点も影響していると私は思っています。

4作目Cahootsではロビー・ロバートソンはマンネリ感を感じたのかアラン・ツーサンに全面的に協力を依頼します。

5作目ライブアルバムのRock of Ages を挟んで6作目ムーンドッグマチネーはカヴァーアルバムで勿論演奏は素晴らしいのですが創作的には行き詰まりが感じられます。

6作目久しぶりのオリジナルアルバムNorthern Light,Southern Crossではロビー・ロバートソンは獅子奮迅の活躍をし完成度の高いアルバムを造ります。結局これでロビー・ロバートソンはグループとしての存続に限界を感じ、ラストワルツへとつながっていった個人的には思っています。


The Band にはレヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、リチャード・マニュエルという3人のヴォーカリストがいたのですが、個人的にはリチャード マニュエルが一番好きでした。

「Music from Big Pink」の一曲目「Tears of  Rage」が印象的なせいか、あるいは月並みですが「I Shall Be Released」に感動したためだったのか。

彼ら自身もグループのリードヴォーカルはリチャード・マニュエルだと言っています。

Whispering Pines



リチャード・マニュエルが後に自分のソロアルバムのタイトルにもしたWhispering Pines。
この美しい歌は彼の作曲によるものです。(作詞はロビー・ロバートソン)

哀愁漂うリチャード・マニュエルのファルセットヴォイス、静かに、そして最後にはドラマチックに響くガース・ハドソンの弾くオルガン。

レヴォン・ヘルムのコーラスも最後に登場し、エンデングを盛り上げていきます。


この歌は「孤独な男が自分から去っていた女性のことを思っている」という内容と解釈されていますが、私にはゴシックロマンというか、「幽霊となった男が自分の妻、あるいは恋人を見守っている歌」とも感じられて仕方ありません。

少しそういうニュアンスを入れて訳してみました。


If you find me in a gloom,
or catch me in a dream
Inside my lonely room,
there is no in between

もし(あなたが)暗闇で私の幻を見たり
それとも、荒涼とした部屋にいる
私の夢を見たら。
そこには二人を隔てるものはない。

Whispering pines
rising of the tide
If only one star shines
That's just enough to get inside

松原のささやき(ざわめき)
満潮
ただ星がひとつ輝いていれば、
何とかあなたの追憶に入っていけるんだ。

I will wait until it all goes 'round
With you in sight,
the lost are found

私(女性)はすべてが廻ってくるのを待っている。
やがてあなたが見えてくる、
失くした人が現れる。


Foghorn through the night
calling out to sea
Protect my only light,
'cause she once belonged to me

夜通し響く霧笛
海に呼びかける
「私のただひとつの灯りを守っておくれ
一度は彼女は私のものだったのだから」。

Let the waves rush in,
let the seagulls cry
For if I live again,
these hopes will never die

打ち寄せる波
カモメの鳴き声
「もし人生をやり直せるなら
今度は希望を失うことは決してしない」。

I(女性) can feel you standing there
But I don't see you anywhere

あなたがすぐ傍にいる気がする。
でもどこにいるのかわからない。


Standing by the well,
wishing for the rains
Reaching to the clouds,
for nothing else remains

(枯れた)井戸のそばに立って
雨乞いをしてる。
雲にまで手を伸ばしたい、
ほかには何も手だてがないのだから 。

Drifting in a daze,
when evening will be done
Try looking through a haze
At an empty house,
in the cold, cold sun

途方に暮れて彷徨い
夕暮れが終わろうとしている時、
見つめている、
冷たい太陽の光が降り注ぐ中、靄のかかった空っぽの家を。

I will wait until it all goes round
With you in sight,
the lost are found

私(女性)はすべてが廻ってくるのを待っている。
やがてあなたが見えてくる、
失くした人が現れる

解釈

リチャード・マニュエルの悲しい最期を知っている今となっては、この美しい曲と彼の歌声を聴くと複雑な気持ちになってしまいます。

曲はⅠ~Ⅲの3部構成になっています。
相変わらずロビー・ロバートソンの詞は意味が分からない所が多いのですが、巧みに韻を踏んでいます。(太字が韻を踏んでいると思われる単語です。)

Ⅰ 
「薄暗闇で見かける」とか「夢に出てくる」とか「松原のざわめき」やら何か
ゴシックロマンを感じさせます。

また、最後の章は何やら輪廻転生を思い起こさせます。

I will wait until it all goes 'round
With you in sight,
the lost are found




 For if I live again ,these hopes will never die.

この文章も何かゴシックロマンを感じさせます。「もし私が再び生きるなら、希望は死ぬことはない。」
つまり「私」は死んでいるともとれます。


Ⅲ 
Standing by the well,
wishing for the rains
Reaching for the clouds,
for nothing else remains

「私」のやるせない気持ちの比喩表現ではないかと思います。


さて、訳してみて何かしっくりこないのが各章の最後の文章です。

ⅠとⅢ

I will wait until it all goes round
With you in sight,
the lost are found

私はすべてが廻ってくるのを待っている。
やがてあなたが見えてくる、
失くした人が現れる。

私としてはこの ”I” はそれまでの男性(幽霊)ではなく、ここだけは女性ならすっきりすると思うのですが。

つまり”the lost”は当然亡くなった男性であり、(生きている)女性の独白ではないかと思うのですが。



I can feel you standing there
But I don't see you anywhere

あなたがすぐ傍にいる気がする。
でもどこにいるのかわからない。

ここも同様で(生きている)女性が亡くなった男性の魂の気配を感じると解釈すればすっきりします。


もっともそんな妙な解釈をせずに、単に「去っていった恋人が帰ってくるのを待っている」なら、 ”I” は男性でもいいと思いますが。(笑い)





Posted by 安儀製餡所 at 22:40 音楽コメント(0)

Kesh jig

2020年06月26日
「異世界居酒屋のぶ」というWOWOWのドラマを観ているとコロナウイルス過の今となっては、この居酒屋でお酒を飲むという日常の光景が

まさに異世界のものと感じられてしまいます。


新しい生活様式とか言われてもやはりピンときません。このドラマのように居酒屋で気兼ねなく楽しく飲める日が来ることを待ち望んでいます。


ドラマの中で何十年振りかで Kesh jig を聴きました。やはりケルト神話は異世界に通じるものがあるのでしょうか。


前にも書いたのですが、Irish Music については日本にはアイルランド人以上に詳しい人が多く、私などが物言うのもおこがましいのですが、

懐かしく思いました。



私でも知っている有名どころのミュージシャンが出演しています。今から思えば楽しそうで、このような時代が再びやってきてほしいものです。



Posted by 安儀製餡所 at 21:20 音楽コメント(0)
緊急事態宣言以来、結果的に暇で自粛となってしまいました。

時間があったので「COLD WAR あの歌、2つの心」を観たのですが、すっかり引き込まれてしまい何回も観てしまいました。

冷戦時代のポーランドとパリを舞台にしたピアニスト ヴィクトルと歌手 ズーラの物語。

映画全編を通して形を変えて歌われる、ポーランド民謡「二つの心」




何回か観てるうちに「これは近松門左衛門の心中もの」という気がしてきました。

最初は冷戦をものともしないズーラの行動力に感心したのですが、やがて彼女の方がヴィクトルに振り回され、彼女の献身にかかわらず行き場を失くしてしまった二人はやがて死を選んでしまう。まるで近松門左衛門の世界だと思いました。(監督がどういうかは知りませんが)

最初観たときにラストシーンに何か違和感がありました。

ポーランドはローマ法王が出るくらい熱心なカトリック教国で、劇中では二人とも信仰があると語っていたのに心中(自殺)というのはどうなっているのかという点です。

ヴィクトルは「音楽バカ」というか状況を無視して自分のズーラへの思いだけで行動してしまう。結果的に状況を悪化させる。

ズーラは困難な政治状況の中で現実的な解決策を考え、実行する。

それが密告であったり、偽装結婚であったり。

そして最後は二人の死という悲劇で終わります。

以下は映画のあらすじ(ネタバレ)です。

1949年

冒頭から イリアンパイプみたいな楽器(ポーランドでは民族、地域により5種類あるとのことです)とフィドラーによる唄と演奏、初めて見た足踏みのアコーディオン。

ポーランドの民族音楽舞踊団を結成すべくヴィクトルとイレーナは民族音楽(フォークソング)を収集している。

そしてそのオーディションでヴィクトルはズーラという若く魅力的で野心家の女性に興味を抱くが、イレーナは彼女に危険な香りを感じたのか、自分を農村出身であると偽っていること、父親を殺害したために保護観察中の身であることヴィクトルに告げる。

おそらくヴィクトルとイレーナは関係があったと思われるが、ヴィクトルがズーラに惹かれて行くのが分かっていたのでしょう。

ヴィクトルはレッスン中、ジャズコードにも柔軟に対応するズーラに西側の音楽界でもやっていける才能を感じる。

1951年

ワルシャワでヴィクトルとイレーナは東側諸国へのツアーと引き換えに、プログラムに共産主義のプロパガンダを入れるように当局から圧力をかけられる。イレーナは反対するが、舞踏団の管理部長であるカチマレクはプロパガンダを入れることに同意し、イレーナは舞踊団を辞めてしまう。そしてヴィクトルとズーラは関係を深めていく。

スターリンの肖像画が描かれた垂れ幕の前で歌う舞踏団。このような映像は今でも某国で見ることができます。共産主義というのは変わらないものです。
昔観た映画『祭りの準備』で竹下景子が左翼の青年に影響されてしまい江藤潤のシナリオをけなすのと全く同じセリフをカチマレクはイレーナに語ります。

ズーラはヴィクトルにカチマレクの命令で彼の行動を密告していたと告げる。彼女の置かれている状況を考えれば致し方なく、カチマレクに適当な報告を入れるというのは最善の策なのですが、彼は彼女を許すことが出来ず、去ろうとする。

1952年

ヴィクトルは舞踏団が東ベルリンを訪れた際にズーラに西側に亡命することを告げ一緒に行くよう誘います。

この当時は「ベルリンの壁」ができる以前でした。しかし約束の場所にズーラは現れず、ヴィクトルは一人で亡命します。

1954年

ヴィクトルはパリのジャズクラブでピアノを弾いて暮らしている。

そして公演でパリに来たズーラと密会する。

ヴィクトルはズーラにあの時に来なかった理由を尋ねると、彼女は自分に自信がなかったのだと答える。そして二人はお互いの気持ちを確認する。

1955年

ヴィクトルはユーゴスラビアまで行き、目的は不明だが舞踏団の公演を鑑賞する。

そして案の定、いくら鉄のカーテンの締まりが緩いユーゴスラビアとは言え、カチマレクに通報され現地警察に捕まるが幸いにもワルシャワではなくパリに送還される。

ズーラは観客の中にいる彼を見つけて激しく動揺する。

この時にヴィクトルの愛情を確信し、彼を追ってパリに行くことを決意したのかもしれません。

1957年

ヴィクトルはパリで映画音楽の作曲家として働いており、そこに突然ズーラが現れる。

彼女はシチリアのイタリア人と結婚したことで合法的に出国していたが、教会で式は挙げてないと言う。そしてヴィクトルと暮らし始める。この瞬間が二人の幸福の絶頂であった。

ヴィクトルはズーラをソロ歌手として売り出す。しかしズーラは以前と違い自分の歌に信念を持っており、ヴィクトルの元恋人が創ったフランス語の歌詞は俗悪に思え、レコーディング中の仕事が彼らの関係性に亀裂を生み、彼女は酒に溺れ始めてしまう。

ズーラから見て今のヴィクトルは共産主義に代わって西側の商業主義に支配されていると感じられた。もはやヴィクトルの彼女に対する愛情は消えていて今は商品としかみてないように感じる。

パリでの暮らしに失望したズーラはレコードを1枚遺してポーランドに帰ってしまう。

ヴィクトルはパリのポーランド領事の助言を無視してズーラを追ってポーランドに帰国する。

やはり、ここでも全く勝算のない行動を起こします。
まあ、トム・クルーズでもない限りこんなことはしないでしょうが、やはり逮捕されてしまいます。

1959年

ズーラは収容所でヴィクトルと面会する。

そこで彼は祖国を裏切ってスパイ活動を行った容疑で「寛大」にも懲役15年を宣告されたことを明かす。彼の手は拷問により痛めつけられており、音楽家としての道は閉ざされていた。

命がけでズーラを追ってきたヴィクトルに対し彼への気持ちがよみがえったズーラは彼を助け出すと約束する。

1964年

釈放されたヴィクトルはクラブでカチマレクと歌手を続けるズーラと再開する。

ズーラはカチマレクと結婚することでヴィクトルを早期に釈放させる取引をしており、また男児を出産していた。

「この男児の父親が誰か」は彼女のみぞ知るというところです。

ズーラは今はポーランド国内での成功と引き換えにパリ時代より悲惨な音楽を歌っている。

ヴィクトルとズーラはトイレに逃げ出し、悲惨で敗残者となった彼女は彼に助けを求める。

2人はバスに乗って廃墟になった教会に行き、結婚式を挙げる。2人は錠剤を飲んだ後に外へ行き、座って景色を眺める。

ズーラが「向こう側」(つまり此岸(しがん)から彼岸の世界)から見ようと提案すると2人は立ち上がって画面上から去り、風に揺れる麦畑だけが映し出される。



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Posted by 安儀製餡所 at 21:37 映画音楽その他コメント(0)
「アイリッシュマン」という映画が話題になっています。

【監督】 マーティン・スコセッシ

【キャスト】 ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテル

【音楽】 ロビー・ロバートソン

ということで非常に観たいのですが、私くらいの年齢の家族がいる男が一人で映画館に行くというのはなかなか難しいものです。

小説の方を買ったので正月休みに読みたいと思っています。

映画「タクシードライバー」

私がマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロのコンビで一番最初に観た映画と言えば「タクシードライバー」です。

初めて観たときはかなり衝撃を受けました。もっとも意味不明だったロバート・デ・ニーロの行動は現在は PTSD という言葉で解決するのでしょうが。

最初のデートで女性をポルノ映画に連れて行って振られたり、大統領候補の暗殺を企て、それに失敗するとチャールズ・ブロンソン扮するポール・カージーみたいなことをはじめて最後には無罪になって街の英雄になる。そう言えば当時「ディア ハンター」とか「ローリング サンダー」とかいわゆるベトナム戦争の後遺症をテーマにした映画がよく創られていました。

理解不能な彼の行動ですが、そのうちの一つが「ロバート・デ・ニーロがテレビを観ていて、ジャクソン・ブラウンの Late for the Sky が流れてくる。そして最後に切れてしまう」というシーンです。

https://youtu.be/IHxuij9Rm-4

改めて見ると若き日のロバート・デ・ニーロのNYの孤独と苦悩を一身に背負う表情は凄いと思います。

しかし、この歌はロバート・デ・ニーロが切れるのを誘発してしまうような内容なのか?、そもそも Late for the Sky という曲名の意味がずっとわかりませんでした。

そこで今回ネットで調べてみたところ次のブログを見つけました。

http://neverendingmusic.blog.jp/archives/20387165.html

ここでジャクソン・ブラウン自身がインタビューに答えている内容が書かれていました。

 "レイト・フォー・ザ・スカイ"…これこそ、まさにその例だよ。これもタイトルから始まった曲なんだ。僕がある人にさよならを告げるときに言った言葉だった。"もう行かなきゃ"ということを告げるのに、馬鹿馬鹿しくなるくらいドラマチックな言い方だったんだ(笑)。つまり「遅れそうだ。飛行機に乗らなきゃならないんだ。もう行くよ」ということ。しかも早朝のフライトで、夕刻遅くではなかった。それなのに「空(飛行機)に遅くなる」と言ったんだ。そのことを覚えていたんだよ。そして曲になった。
 僕にとって曲を書くというのは、そういった、たったひとつのフレーズがさらに響き渡ってくるような、比喩表現やクリエイティヴな文脈を見つける作業に過ぎないということもよくある。もしくは口にしたとき、結果的にそういう意味になるか…。


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Posted by 安儀製餡所 at 16:46 映画音楽コメント(0)

Kathy's Song

2019年11月20日


この「ポール サイモン ソングブック」 のアルバムジャケットに若いポール サイモンと一緒に写っている女性がKathy です。

And as I watch the drops of rain
Weave their weary paths and die
I know that I am like the rain
There but for the grace of you go I
(=But for the grace of you, I go there 慣用句ではGodですが、ここではyouに置き換えられています。)

この唄の最後の歌詞にポール サイモンの当時の気持ちが込められています。

私は小道を流れ、いずれは消えていく雨の雫を見つめている。
私は自分がその雨のような存在なのは知っている。
でも、彼女のおかげでこうして生きて行けるのだ。

ポール サイモンはファーストアルバムの失敗からアート ガーファンクルは大学にもどり、失意のうちに一人イングランドに渡ります。
そこで彼はマーティン カーシーやデイビー グラハム、バート ヤンシュ、 ジョン レンボーン、ジャクソン C. フランク達と出会うことになります、そしてKathyと。

絶望的な状況の中で彼の拠り所はKathyだけだったのでしょう。
彼女のおかげで私たちは彼の素晴らしい歌を後に聴くことが出来たと思うばかりです。

ポール サイモンはご存知の通り本人の知らないところでフォークロック調に変わった「Sound of Silence」が大ヒットし、アメリカに戻り、
サイモンとガーファンクルを再結成し大スターになります。

その後Kathyはどういう人生は歩んだのか。何十年も気になっていました。

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Posted by 安儀製餡所 at 22:46 音楽コメント(0)
Duane Allman が レイラ の録音時に使用していたギターがオークションに出されて売却されたというニュースが流れました。

https://www.barks.jp/news/?id=1000170880

世間の話題に疎い私もネットのニュースで流れていたのでこの件は知っていたのですが。

その時私は車を運転していたので、大阪の民放ラジオから一生のうちでJessica 以外の Allman Brothers Band の音楽を耳にすることはないであろう局アナから Duane AllmanやAllman Brothers Band という単語が出てきたので驚きました。

ゴールドトップ レスポールを弾くDuane Allman(多分アトランタ ポップフェスティバル のもの)



おそらくエリック クラプトンとレイラというキーワードからニュースで取り上げたのでしょう。

彼はどうしてギタリストのDuane Allmanがエリック クラプトンのバンド デレク&ザ ドミノス でギターを弾いていたのかは何の説明もせず売却金額の話ばかりしていました。

そんなにエリック クラプトンが好きなら、彼がクリーム解散後、The Band の Music From Big Pink を聴いて衝撃を受けアメリカに渡ってデラニー&ボニーのツアーに参加し、そのバンドのメンバー達とデレク&ドミノスを結成した。

ウイルソン ピケット や アリーサ フランクリン の曲でDuane Allmanに注目していたエリック クラプトンにプロヂューサーのトム ダウトが二人を引き合わせた。

レイラでもロック史上最も有名なリフの一つである、あのイントロや後半のスライドギターを弾いているのがDuane Allmanです。

まあ、このくらいは説明してくれてもいいとは思うのですが。

Duane Allmanはインタビュアーに「スライドがあなたと言われているが他の曲ではどちらがどのパートを弾いているのか」と質問されたところ、彼は「ストラトを弾いているのがエリックでレスポールを弾いているのが俺だ。ストラトとレスポールの音を聞き分けられたら、わかるはずだ。」と答えたそうです。

まあ、非常にカッコイイのですが、昔の音楽雑誌の記事なのでどこまで本当か、眉唾物な気もします。



デレク&ザ ドミノス でのDuane Allmanのスライド以外での演奏の代表的なものとして

ギターソロのラストで Joy To The World が聞ける Why Does Love Got to Be So Sad?



ジミ ヘンドリックスで有名な Little Wing




最後に珍しいレイラのDuane Allmanのスライドだけをとりだしたもの



Posted by 安儀製餡所 at 21:47 音楽コメント(0)
The Bandについて続けて書いて来たので、今回で終わりにしたいと思います。

さて、いろいろなご意見もあるでしょうが、やはり彼らの曲作りの中心はギタリストのロビー ロバートソン になると思います。

クレジットを見ればほとんどの歌は彼の作詞作曲か他のメンバーとの共作となっています。

彼が創った歌を3人のヴォーカリスト レヴォン ヘルム、リチャード マニュエル、リック ダンコ が歌う。

ガース ハドソンは(この人だけは正規の音楽教育を受けていたそうです)音楽監督みたいな立場だったと想像出来ます。

ギタリスト ロビー ロバートソン

1970年代中頃、登場してきた フュージョン系のギタリストみたいな派手なソロを弾くわけではなく、自分が作った歌(あるいはディラン)が活きるように余計なことをしないという印象があります。

さて、ギタリストとしてのロビー ロバートソンの特徴といえば何と言っても ピッキング ハーモニックス です。

彼のギターソロの中には必ずと言っていいほど登場します。


ピッキング ハーモニックス

有名な所では イーグルス の ホテル カリフォルニア の2回目のリフレインで ドン フェルダーが オブリガードで弾いている倍音です。

日本では何と言っても 故 石田長生さんが 効果的にカッコよく使っていました。

次の映像は何年か前の 春一番コンサート で 大塚まさじ さんと二人で名曲「天王寺思い出通り」を演奏した時のものです。

観客の声でピッキング ハーモニックスをどこで使ったかよくわかります。それにしても石田さんの演奏もっと聴きたかったものです。



Posted by 安儀製餡所 at 21:41 音楽コメント(0)

The Weight

2019年07月31日
The Band について書いてきたので、やはり、この歌について触れないわけにはいかないと思います。



このロビー ロバートソン の白日夢みたいな歌については今まで様々な解釈がなされてきました。

何かしら宗教的な雰囲気と全くシンプルで力強い歌と演奏。

それにしても何を言っているのか分からない詞の内容。

特に Fanny とは何者なのか、そして今回も謎のリフレイン。この辺についても私なりの解釈を書いてみたいと思います。

1.
I pulled into Nazareth, was feelin' about half past dead;
I just need some place where I can lay my head.
"Hey,① mister, can you tell me②where a man might find a bed?"
He just grinned and shook my hand, and "No!", was all he said.

私がナザレに着いた時は半死半生だった。
私には横になれる場所が必要だった。
そこで私はナザレの人に聞いてみた。「お教えください。人は安息の地を見つけられるですか。」
彼はニヤリと笑い、私の手を握りただ「いいえ」とだけ言った。

リフレイン
①Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me

(神よ)Fanny(母)から荷物を一つ降ろしてください。あなたの慈悲で荷物を一つ私のところに運んでください。
私が全ての重荷を背負います。

2.
I picked up my bag, I went lookin' for a place to hide;
When I saw Carmen and the Devil walkin' side by side.
I said, "Hey, Carmen, come on, let's go downtown."
She said, "I gotta go, but m'friend can stick around."

私は自分の(欲望が詰まった)カバンを拾い上げ、それを隠す場所を探していた。
するとカルメンと悪魔が並んで歩いて来た。
私は言った。「カルメン、こっちへおいで、一緒にダウンタウンへ行こう」
彼女は言った。「私は構わないよ、でも私の周りには悪魔がうろついてるよ。(聖人であるあなたには都合が悪いじゃないの?)

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

3.
Go down, Miss Moses, there's nothin' you can say
It's just② ol' Luke, and Luke's waitin' on the Judgement Day.
"Well, Luke, my friend, what about young Anna Lee?"
He said, "Do me a favor, son, woncha stay an' keep Anna Lee company?"

神に捧げる歌が聞こえてきた。「往きなさいミス モーゼ、でもあなたは何も話せることはない。」
まるで弁明の余地がない年老いたルカみたいだ。そしてルカは判決を待っている。
「我が友ルカよ、若い(愛人の)Anna Lee はどうしている?」
彼は言った。「お願いがあるんだ。俺の服役中Anna Lee を 面倒みてくれないか」

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me

4.
Crazy Chester followed me, and he caught me in the fog.
He said, "I will fix your rack, if you'll take ②Jack, my dog."
I said, "Wait a minute, Chester, you know I'm a peaceful man."
He said, "That's okay, boy, won't you feed him when you can."

独裁者のChester が私の後を追ってきて、とうとう霧の中で捉まってしまった。
彼は言った「もしお前が私の犬のJack を連れていくなら、お前を痛めつけるぞ」
私は言った。「少し待ってくれChester、私が暴力を好まないのを知っているだろう」
彼は言った。「分かったよ。それならできる時でいいから犬のJackに餌をやってくれないか」

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

5.
Catch a cannon ball now, t'take me down the line
My bag is sinkin' low and I do believe it's time.
To get back to ①Miss Fanny, you know she's the only one.
Who sent me here with her regards for everyone.

特急列車に飛び乗ろう、そうすればここを離れられる。
私のカバンは(人々の苦悩で一杯で)重くなっていた。そろそろ潮時だ。
Miss Fanny(母) の元に帰ろう。あなた(神)は知っている。彼女こそが人々の(救済の)ために私をここに送り出した、ただ一人の人だと。

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

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Posted by 安儀製餡所 at 18:22 音楽コメント(0)

Across The Great Devide

2019年07月27日
前回取り上げた The Night They Drove Old Dixie Down 、貼っていたYou Tube の音源はなんか変な終わり方になっていたと思いますが、それは アルバム Rock of Ages ではこの歌とAcross The Great Devideがメドレーになっているからです。

私はこのメドレーがこのアルバムの中でも最も気に入っているところです。


それでこの歌についても少し自分の持っているイメージを書いてみたいと思います。



内容は簡単にいえば 「今の生活に満足できない主人公が収穫祭のさなかこの小さな町を出ようとするが、あらかじめその気持ちに感づいていた恋人の Molly に止められて(おそらく)撃たれてしまう。そして薄れていく意識の中で自分の人生を回想していく。」

1. 
Standin' by your window in pain
A pistol in your hand
And I beg you, dear Molly, girl,
Try and understand your man the best you can

痛みに顔を歪めながらmollyの家の窓辺に立っている。
彼女の手にはピストルか握られている。
「お願いだmolly、どうかわかってほしい」

リフレイン  
Across the Great Divide
Just grab your hat, and take that ride
Get yourself a bride
And bring your children down to the river side

2.
I had a goal in my younger days
I nearly wrote my will
But I changed my mind for the better
I'm at the still, had my fill and I'm fit to kill

もっと若いときは命を懸けてもいいと思う目標があった。
遺書まで書きかけた。
ても良いほうに心変わりしたんだ。(自嘲気味に)
自分に合っていたようで心穏やかで死んだような暮らし。

リフレイン
Across the Great Divide
Just grab your hat, and take that ride
Get yourself a bride
And bring your children down to the river side

3.
Pinball machine and a queen
I nearly took the bus
Tried to keep my hands to myself
They say it's a must, but who can ya trust?

娯楽と享楽の街へ向かうバスに乗りかけたこともあった。
でも自分を律したんだ。
それが大事だと長老たちは言う。
でも神の言うことなんか誰も信じてないんだ。

4.
Harvest moon shinin' down from the sky
A weary sign for all
I'm gonna leave this one horse town
Had to stall 'til the fall, now I'm gonna crawl
Across the Great Divide

夜空に輝く中秋の名月でさえ疲れたサインに見える。
このちっぽけな街を去るつもりだ。
秋の収穫までは待つがそれが済めばロッキーを越えて抜け出すんだ。

5.
Now Molly dear, don't ya shed a tear
Your time will surely come
You'll feed your man chicken ev'ry Sunday
Now tell me, hon, what ya done with the gun?

さあMolly泣かないで。
君にも素晴らしい時が来る。
日曜ごとにチキン料理を振る舞う恋人が現れる。
ところで教えてほしい。その銃で何をしたんだ。(本当に撃つなんて)

リフレイン
Across the Great Divide
Just grab your hat, and take that ride
Get yourself a bride
And bring your children down to the river side

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Posted by 安儀製餡所 at 00:42 音楽

Virgil Caine の末裔

2019年07月18日
「スリー ビルボード」 という映画を遅ればせながら観ました。

映画は評判通りすごくよくできていて特にサム・ロックウェルのレッドネックだかヒルビリーぶりが際立っていました。

ただ、一つ気に入らないのが、この中でクライマックスと言える場面で懐かしい「Old Dixie Down」が流れるのですが、これが「ジョーン バエズ」のヴァージョンだったことです。確かに商業的にはこれが一番成功したのでしょうが、やはり 「The Band」 のを聞きたかったと思いました。

サム・ロックウェル演じるジェイソン・ディクソン巡査はこの歌に登場するVirgil Caine の末裔ということでしょうか。



今回そんなことでふとThe Bandの「The Night They Drove Old Dixie Down」について書いてみます。

The Band

昔見た海外ドラマで中年男性が 「The Weight」を鼻歌で歌っていて、彼の母親に「未だに意味が分からない」という場面がありました。英語が母国語の人間でもそんなものかという感じで私が分からないのも当然かなと安心しました。

この「Old Dixie Down」はテーマが分かり易いのでなんとなくわかったような気になっていたのですが、改めてその歌詞を読んでみるとよくわからないところがたくさんありました。

私が「The Band」の歌としてずっとイメージしていたのは彼らのライヴアルバム「Rock Of Ages」に松山猛さんが書いていたライナーノーツです。

古い話で記憶が曖昧なのですが「彼らの音楽は映画「ラスト ショー」の世界を描いている。」みたいな内容だったと思います。

ある意味「スリー ビルボード」と「ラスト ショー」の世界は時代は違っても舞台が閉塞感で一杯のアメリカ合衆国の田舎という点で非常に近いといえます。

それで「Old Dixie Down」もなんとなく歌詞の意味が分かったような気になっていたのですが、今はインターネットという便利なものもあるので

少し調べてみました。そこで「華氏65度の冬」というブログを見つけました。

このブログには「Old Dixie Down」の歌詞について丁寧に解説がされていました。
 
今回感じたのは、この歌は旧約聖書の「カインとアベル」の物語が色濃く反映されているということです。

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Posted by 安儀製餡所 at 00:02 映画音楽コメント(0)

Pentangle

2019年02月05日
Far from the Madding Crowd

先日 たまたま 女優のCarey Mulligan が Pentangle のファーストアルバムに入っている「Let No Man Steal Your Thyme」を歌っている映像を You Tube で見つけました。




多分以前にInside Llewyn Davis という映画でP.P.M.スタイルで「500マイル」を歌っている映像を再生したためだと思いますが。




Inside Llewyn Davisは評価の高い映画で私も観たのですが、なんか このDavis君のクズ男ぶりが際立っていたというか、あんまり彼の苦悩には共感できませんでした。

Carey Mulliganが「Let No Man Steal Your Thyme」を歌っている「Far from the Madding Crowd」という映画は文豪トーマス・ハーディの小説を映画化したものです。

非常に観たいのですが残念ながら日本未公開ということです。ネット配信かツタヤさんに行くかですが、まあそのうちWOWOWで放映されるでしょう。





Pentangle

Bert Jansch も John Renbourn も亡くなってしまいましたが結成当時のPentangleが「Let No Man Steal Your Thyme」を演奏している映像が残っています。

Pentangleは当時の英国フォークシーンでは既に有名であった二人にジャズ畑出身のDanny Thompson(Bass) Terry Cox(Drum)にJacqui McShee(Vocal)の5人で結成されました。

Pentangle のファーストアルバムのジャケットはメンバーのシルエットのイラストだけでしたので、デビュー当時の映像が残っているのは貴重だと思います。





Willy O Winsbury

私がその昔、Pentangleのアルバムを買いに行った所、レコード会社の契約の関係で国内版はラストアルバムとなった Solomon's Sealしか販売されていませんでした。

それで不本意ながらラストアルバムから聴くことになりました。


その中でこの唄は当時British Trad と呼ばれていた 唄のイメージ通りの内容、「囚われの王、悲嘆にくれる王女、白馬(唄の中では
Dapple Greyですが)の王子様の登場」といった感じです。

この映像の中でBert Janschが珍しく(アパラチアン)ダルシマー を弾いています。 Terry Coxはこの唄ではお休みで4人で演奏しています。

Willy O Winsburyはチャイルド バラッドにも入っている有名な唄で、色々な人が歌っています。またSandy Dennyもメロディーを使って
Farewell Farewell という唄を作りました。






Posted by 安儀製餡所 at 17:57 映画音楽コメント(0)
2019年になってからろくな事がありません。 

しかも北海道産の豆類の高騰、10月には消費税の値上げあるいはHaccpの準備でいろいろと面倒くさいことが増えたりとこの先も不安な要素が一杯です。


気が滅入ることが多く、今一番気に入っているこの動画を観ながら毎晩一人で飲んでいます。

 このドン・マクリーンの Vincent という唄を使った動画です。




懐かしいドン・マクリーンの歌声、といっても私は”あの唄”しか知らず、この年になって初めて聞きました。1970年代の最初の頃に出来た唄です。

ドン・マクリーンというのはアメリカの 円広志 さんみたいな感じの人だと思っていたのですが American Pie 以外にも結構いろいろと有名な曲を作っていることを知りました。

それにしてもこの動画はうまくできていると感心してしまいます。

Posted by 安儀製餡所 at 19:02 音楽コメント(0)

京の茶漬け

2018年12月30日
前回の記事で紹介した 朝倉さや さんの曲に「おかえりーmanzumamake」 があります。帰省のこの時期にはピッタリの曲です。

このサブタイトルになっている manzumamake というのは山形の方言で まんづ「まあ(さあ)」 まま「ごはん」 け「食べたら」

という意味で、「おかえり、まあ、挨拶はいいから手でも洗ってご飯でも食べたら」という美しい言葉です。

しかし私のような関西人というのは全く持って残念なことに、このやさしい言葉とは正反対な言葉の方になじみが深いようです。

京の茶漬け

上方落語メモ【世紀末亭】というサイトにこの話が文章化されたものがありましたので、申し訳ありませんがその一部を引用させていただきたいと思います。

この京都で昔からご馳走(ごっつぉ)言葉とでもいぅんでしょ~か、人が来
て話をして帰りかけるといぅと「あの、何もおへんのどすけど、ちょっとお
茶漬けでも」下駄はく、靴はくといぅ段階になって「ちょっとお茶漬けでも」

 「さよか」言ぅて、また靴ぬいで上がって来る人は滅多におまへんわ。ス
キ焼きか何かやったらまた話が違うかも分かりまへん「あんたの顔見てから
材料揃えたんで、ちょっと手間取りましたけど、えぇ肉が入ってまんねん。
せっかく鍋用意してん、ひと箸でもまぁ……」

 「そないしてもぉたんやったら……、さよか」ちゅう人でも、茶漬けぐら
いでっさかいねぇ「まぁ、また今度……」と帰ってしまう。必ず帰りかけた
段階になってこれを言ぅんですなぁ、引き返しにくいといぅ段階で、そのタ
イミングで「ちょとお茶漬けでも」「いやまた、いやけっこぉです」と帰っ
てしまう。

 ちょいちょいこれを喰らうと、段々むかついてくるやつがおりまして「い
つも帰りかけたら茶漬けや茶漬けやぬかしやがる。よし、いっぺんあの茶漬
けを食てこましたれ」ちゅな、また物好きな人がおって、これを食べたさに
わざわざ大阪から京都まで、電車賃使こて行たやつがあるっちゅうんやさか
い、昔しゃ暇な人が多かったんですなぁ。


私がこの落語を初めて聞いたのは今から40~50年前で故桂米朝さんが演じていたものでした。

珍しい噺でこの話を演じていたのは故桂文我さんか小米時代の故桂枝雀さん位だったと思います。

この当時でも電話(固定電話です)が普及してからは大概アポイントを取ってから訪問するようになったのでほぼ死語になっているということでしたが、日本の中の中華思想の持ち主である京都の人達の「本音」と「建て前」がいかに違うかという事を勉強させてもらいました。


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Posted by 安儀製餡所 at 21:13 音楽コメント(0)

青大豆

2018年12月05日
2018年ももう終わりという事で、かなり古い話になってしまいましたが、今年は8月末からいろいろな天災が日本中を襲いました。

ニュースでご覧になった方も多いと思いますが,、比較的天災による被害を被る事がなく、そのため他所から「泉南ボケ」などと揶揄されていた泉州地方ですが、9月4日に直撃した台風21号では大変な被害を受けました。

幸い弊社は電気などのインフラが止まることがなく、屋根の瓦が落ちた程度で済みましたがそれでも未だにまだその、その事後処理に追われています。

ちょうどそのころ(正確には9月29日)、NHKの「ブラタモリ」という番組で「山形・酒田~山形・酒田はなぜ日本の中心」という放送がありました。

最近、弊社でも青大豆を使って 「くるみ餡」 を作っているのですが、この青大豆が山形県産の 「越後緑」とか岩手県産の 「岩手緑」という大豆を使っています。

この番組を見ていて、ふと「くるみ餅」で有名な堺にある某有名店は豊臣秀吉の時代から商売されていたということですから、きっと江戸時代にはこの西廻り航路で摂津の港に着いた青大豆を使っていたのかなあ。と想像してしまいました。(あくまでも私の想像です。)

北前船と酒田の繁栄

番組のHPから引用しますと

酒田は西回り航路の起点となり、北前船の時代に繁栄を極めた場所でした。でも、どうして江戸から遠く離れた酒田が日本の物流の中心ともいうべき場所になったんでしょう?そこには最上川を生かした水運と豊富にとれる米、そして北前船がもたらす全国の産物の恵み、そして酒田港を強くサポートする沖合いの島の存在がありました。自然の恵みをたくましく生かした酒田の人々の知恵に、タモリさんが迫ります。 まずタモリさんが向かったのは、町のシンボル鳥海山を臨む最上川の河口域。実はこの最上川こそ、酒田発展の足がかりとなった場所でした。屋形船に乗って川岸を観察していると、古い石垣と船を発見。これこそが、かつて川を使って行われていた水運の痕跡。上陸して巨大な倉庫の中に入ると、そこには圧倒されるほどの量の米、米、米!酒田は最上川流域の米を集め、西回り航路を通じて一大消費地・江戸に送り込む重要な場所だったんです。この航路を利用して発展したのが、北前船。米だけでなく、日本海側の優れた産物を流通させていました。





この西廻り航路こそが幕府の御用米と一緒に昆布などの北海道の海産物やそれと一緒に山形や岩手、宮城などで採れた青大豆も最上川→酒田→大阪と運んでいたとしてもおかしくないでしょう。


hana3青大豆

そこで、今回は少し 青大豆 について私の知っていることや調べたことを書いてみたいと思います。残念ながらあまり青大豆について詳しいことはないので、間違っている点も多々あるとは思いますがご了承ください。i



青大豆の特徴




さて、お気づきとは思いますが、青大豆と言っても実際はどちらかと言えば 緑色 に近いと言えます。私の想像ですが、これは「緑色の信号機のランプを青信号という」(昔は緑色を青色と言っていた)のと同じ理由だと思います。


また青大豆には青・青と呼ばれる「種皮だけでなく、中身の実(子葉)も、胚芽も緑色」と、青・白と呼ばれる「種皮が緑色で子葉が白色」の二つがあります。

以下は新潟市にある株式会社 髙口又四郎商店 さんのHPより引用させていただきます。

青大豆とは

「青大豆」は大豆の中でも、熟しても青い色のものをいいます。ほとんどの大豆は、熟すと黄色や黒色になりますが、青大豆はなぜ青いまま。それは青大豆と普通の大豆はそもそも別品種だからです。お米は「コシヒカリ」や「あきたこまち」などいろんな品種がありますが、大豆にも品種の違いがあるんですね。
青大豆は黄色い大豆と比べ“油分が少なく”その代わりに“糖分が多い”など成分も異なります。また、青大豆は普通の豆と比べて見た目は大粒。風味豊かで甘みが強く、そして低脂肪でおいしい青大豆は希少価値が高い隠れた名品といわれています。


青大豆の産地

青大豆は流通量も少なく、皆さんがほとんど目にすることがないかもしれません。国内の産地では秋田・山形などが有名ですが、それほど多くつくられているわけではありません。その理由は、おいしい青大豆は栽培が難しいからだといわれています。青大豆は病気にかかりやすく、収穫も手作業で大変なのだとか。そのため、実がなる時期に早く涼しくなる東北や北海道で少量作られているのが現状です。
このような理由で、青大豆はなかなか皆さんが手にする機会がないんですね。特に国産の青大豆は量も少なく値段も張ります。


「青大豆」と「枝豆」は違うの?

「青大豆」と「枝豆」と名前だけ聞くと、ついつい違う作物かな?と思ってしまいます。しかし、両者の見た目はそっくり!「青大豆と枝豆って何が違うの?」と疑問を持つ方は多いんです。
そもそも「枝豆」は、未成熟な大豆を収穫したものです。つまり、枝豆と言う植物があるのではなく、収穫時期が違うだけなんです。もともと同じ植物ですので、枝豆をそのまま成熟させていくと大豆になるのです。
最近は特に、香りのする青大豆が“香り豆”と呼ばれています。最近人気の枝豆“だだちゃ豆”は香り豆とよばれる青大豆を使っています。



つまり、“だだちゃ豆とは未成熟な青大豆を収穫したものという事です。(こう書くと身もふたもない気がしますが)

だだ茶豆
「だだちゃ豆」とは、山形県庄内地方の中でも鶴岡市周辺の限られた地域で、地元農家の手によって、古くから大切に守り育てられてきた在来種の枝豆です。


だだ茶豆の特徴

「だだちゃ豆」は栽培する土地が合わないと風味が落ちてしまい、生産地が限られるといわれています。そして収穫期も短く、また保存も困難だったため、長らく「幻の豆」と呼ばれてきましたが、近年の輸送手段の向上等により全国的に知られるようになりました。
サヤの毛が茶色で、くびれも深く、見栄えは必ずしも良くありませんが、他にない独特の甘みと濃厚な風味があります。
2粒サヤの出る割合が、ほかの枝豆よりも多いのも特徴です。粒が少ない豆はその分旨みが凝縮され、美味しくなります。1本の枝になる2粒サヤの豆が多いほど、その豆は「美味しい」と感じられるのです


まあ、泉州地方の 水なすび みたいな感じです。

上記から「だだ茶豆」とは山形県庄内地方の中でも鶴岡市周辺の限られた地域で、地元農家の手によって、古くから大切に守り育てられてきた在来種の未成熟な青大豆ということになります。

在来種の青大豆

青大豆には XXX みどり という名称のものが多々あります。以下は有限会社日本クラシア・フードサプライ さんのHPからの引用です。

秋田みどりとは秋田県大潟村を中心に秋田県内で作られている青大豆です。種皮も実(子葉)も胚芽も全て緑色をしています。

東北には他にも「越後みどり」「岩手みどり」などの青大豆もありますが、この二者は在来種で、あきたみどりだけが登録品種です。
登録品種とは農水省に品種として登録されたちゃんとした品種ということです。
「あきたみどり」の「越後みどり」「岩手みどり」との違いはそんなところにもあります。

さて、それではこの在来種とはどういう意味なのかという疑問が残ります。

在来種の定義

定義そのものが結構曖昧な所があるみたいですが一応 「ある地方で、長年他の地方の品種と交配されず飼育または栽培されてきた品種。」
という事です。

後、私が疑問に思ったのは、山形県で採れるのになぜ「えちご緑」と呼ばれているのか?ということです。
ご存知の方がいれば教えていただきたくおもいます。

枝豆の品種

最後に枝豆(未成熟な大豆)の種類を紹介しておきます。以下はえだまめ日和というサイトからの引用です。

枝豆として栽培されているものは大きく分けて3種類あり、種皮やサヤのうぶ毛の色の違いから、「白毛豆(青豆)」「茶豆」「黒豆」に区別されます

face01枝豆 白毛豆(青豆)→黄大豆


国内で最も流通しており、癖がなく万人受けする一般的な種類の枝豆です。
サヤのうぶ毛が白いものが多く「白毛豆」と呼ばれ、また種子の状態で、通常の大豆色もしくは薄い緑色をしたものを総じて「青豆」とも呼びます

face01枝豆 茶豆→青大豆

一般の枝豆は関東地方の生産が多いのに対し、茶豆は東北地方が生産の中心になります。
外見は普通の枝豆ですがサヤの中の豆が茶色の薄皮を被っていることから茶豆と呼ばれています。2粒サヤが主体の品種であり、3粒以上のサヤはほとんどありません。

face01枝豆 黒豆→黒大豆

関西地方で多く栽培されており、京都の丹波地方等に代表される丹波の黒豆が有名ですが、一般的には正月用の煮豆等に使用されています。
枝豆としては、黒大豆が成熟して黒豆になる前の若いものを収穫します。サヤの中で黒くなる前の状態のため、サヤの中の薄皮がうっすらと黒みを帯びています。大粒の豆と黒豆特有の深い甘味と凝縮されたコクが特徴です。

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Posted by 安儀製餡所 at 22:58 音楽コメント(0)

R.I.P.  Gregg Allman

2017年06月04日
6月3日になって、 グレッグ オールマン が亡くなったことを知りました。たまたま聞いていた「ウイークエンド・サンシャイン」で初めて知って驚いています。

記事によると

5月27日に肝臓がんによる合併症のため69歳で亡くなったグレッグ・オールマンの葬儀が、今週土曜日(6月3日)、オールマン・ブラザーズ・バンド博物館がある米ジョージア州メイコンで執り行われる。


グレッグは、同市にあるRose Hill Cemeteryで、1971年にバイク事故で亡くなった兄デュアンの隣に埋葬されるそうだ。彼のマネージャーによると、グレッグはそれを望んでいたという。近くには、同じくオールマン・ブラザーズ・バンドのメンバーで、デュアンが亡くなった翌年、同様にバイク事故で死去したベリー・オークリーも埋葬されている。



以下は私の妄想した天国でのDuane との会話です。

Duane「46年ぶりに顔を見ることが出来たな。こっちにはこの間ブッチも来たばかりだ。ベリー オークレーもいることだし。」
     「ディッキーの代わりはダン トラーがやっている。おまえにはB-3をこっちでも弾いてもらう。」

Gregg「本当に兄さんとギグするのは久し振りさ。俺もあちらではいろいろな連中と演奏してきた。」
    「ディッキー、デレク、ヘインズ、エリック数え切れないさ。でも何といっても兄さんが最高さ。」

Duane「それにしても俺がこっちに来てからも、よくバンドを続けてくれたものさ。メンバーとの対立、薬の問題。」
     「それに7回も結婚したし。」
    「お前の自伝が映画にならなかったのは少し残念だったけどな。」 

Gregg「そう言えば、映画のTammyでスーザン サランドンが言っていたのは本当なのかい?」



R.I.P. Gregg Allman 

 


Posted by 安儀製餡所 at 09:03 音楽コメント(0)

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