緊急事態宣言以来、結果的に暇で自粛となってしまいました。
時間があったので「COLD WAR あの歌、2つの心」を観たのですが、すっかり引き込まれてしまい何回も観てしまいました。
冷戦時代のポーランドとパリを舞台にしたピアニスト ヴィクトルと歌手 ズーラの物語。
映画全編を通して形を変えて歌われる、ポーランド民謡「二つの心」
何回か観てるうちに「これは近松門左衛門の心中もの」という気がしてきました。
最初は冷戦をものともしないズーラの行動力に感心したのですが、やがて彼女の方がヴィクトルに振り回され、彼女の献身にかかわらず行き場を失くしてしまった二人はやがて死を選んでしまう。まるで近松門左衛門の世界だと思いました。(監督がどういうかは知りませんが)
最初観たときにラストシーンに何か違和感がありました。
ポーランドはローマ法王が出るくらい熱心なカトリック教国で、劇中では二人とも信仰があると語っていたのに心中(自殺)というのはどうなっているのかという点です。
ヴィクトルは「音楽バカ」というか状況を無視して自分のズーラへの思いだけで行動してしまう。結果的に状況を悪化させる。
ズーラは困難な政治状況の中で現実的な解決策を考え、実行する。
それが密告であったり、偽装結婚であったり。
そして最後は二人の死という悲劇で終わります。
以下は映画のあらすじ(ネタバレ)です。
1949年
冒頭から イリアンパイプみたいな楽器(ポーランドでは民族、地域により5種類あるとのことです)とフィドラーによる唄と演奏、初めて見た足踏みのアコーディオン。
ポーランドの民族音楽舞踊団を結成すべくヴィクトルとイレーナは民族音楽(フォークソング)を収集している。
そしてそのオーディションでヴィクトルはズーラという若く魅力的で野心家の女性に興味を抱くが、イレーナは彼女に危険な香りを感じたのか、自分を農村出身であると偽っていること、父親を殺害したために保護観察中の身であることヴィクトルに告げる。
おそらくヴィクトルとイレーナは関係があったと思われるが、ヴィクトルがズーラに惹かれて行くのが分かっていたのでしょう。
ヴィクトルはレッスン中、ジャズコードにも柔軟に対応するズーラに西側の音楽界でもやっていける才能を感じる。
1951年
ワルシャワでヴィクトルとイレーナは東側諸国へのツアーと引き換えに、プログラムに共産主義のプロパガンダを入れるように当局から圧力をかけられる。イレーナは反対するが、舞踏団の管理部長であるカチマレクはプロパガンダを入れることに同意し、イレーナは舞踊団を辞めてしまう。そしてヴィクトルとズーラは関係を深めていく。
スターリンの肖像画が描かれた垂れ幕の前で歌う舞踏団。このような映像は今でも某国で見ることができます。共産主義というのは変わらないものです。
昔観た映画『祭りの準備』で竹下景子が左翼の青年に影響されてしまい江藤潤のシナリオをけなすのと全く同じセリフをカチマレクはイレーナに語ります。
ズーラはヴィクトルにカチマレクの命令で彼の行動を密告していたと告げる。彼女の置かれている状況を考えれば致し方なく、カチマレクに適当な報告を入れるというのは最善の策なのですが、彼は彼女を許すことが出来ず、去ろうとする。
1952年
ヴィクトルは舞踏団が東ベルリンを訪れた際にズーラに西側に亡命することを告げ一緒に行くよう誘います。
この当時は「ベルリンの壁」ができる以前でした。しかし約束の場所にズーラは現れず、ヴィクトルは一人で亡命します。
1954年
ヴィクトルはパリのジャズクラブでピアノを弾いて暮らしている。
そして公演でパリに来たズーラと密会する。
ヴィクトルはズーラにあの時に来なかった理由を尋ねると、彼女は自分に自信がなかったのだと答える。そして二人はお互いの気持ちを確認する。
1955年
ヴィクトルはユーゴスラビアまで行き、目的は不明だが舞踏団の公演を鑑賞する。
そして案の定、いくら鉄のカーテンの締まりが緩いユーゴスラビアとは言え、カチマレクに通報され現地警察に捕まるが幸いにもワルシャワではなくパリに送還される。
ズーラは観客の中にいる彼を見つけて激しく動揺する。
この時にヴィクトルの愛情を確信し、彼を追ってパリに行くことを決意したのかもしれません。
1957年
ヴィクトルはパリで映画音楽の作曲家として働いており、そこに突然ズーラが現れる。
彼女はシチリアのイタリア人と結婚したことで合法的に出国していたが、教会で式は挙げてないと言う。そしてヴィクトルと暮らし始める。この瞬間が二人の幸福の絶頂であった。
ヴィクトルはズーラをソロ歌手として売り出す。しかしズーラは以前と違い自分の歌に信念を持っており、ヴィクトルの元恋人が創ったフランス語の歌詞は俗悪に思え、レコーディング中の仕事が彼らの関係性に亀裂を生み、彼女は酒に溺れ始めてしまう。
ズーラから見て今のヴィクトルは共産主義に代わって西側の商業主義に支配されていると感じられた。もはやヴィクトルの彼女に対する愛情は消えていて今は商品としかみてないように感じる。
パリでの暮らしに失望したズーラはレコードを1枚遺してポーランドに帰ってしまう。
ヴィクトルはパリのポーランド領事の助言を無視してズーラを追ってポーランドに帰国する。
やはり、ここでも全く勝算のない行動を起こします。
まあ、トム・クルーズでもない限りこんなことはしないでしょうが、やはり逮捕されてしまいます。
1959年
ズーラは収容所でヴィクトルと面会する。
そこで彼は祖国を裏切ってスパイ活動を行った容疑で「寛大」にも懲役15年を宣告されたことを明かす。彼の手は拷問により痛めつけられており、音楽家としての道は閉ざされていた。
命がけでズーラを追ってきたヴィクトルに対し彼への気持ちがよみがえったズーラは彼を助け出すと約束する。
1964年
釈放されたヴィクトルはクラブでカチマレクと歌手を続けるズーラと再開する。
ズーラはカチマレクと結婚することでヴィクトルを早期に釈放させる取引をしており、また男児を出産していた。
「この男児の父親が誰か」は彼女のみぞ知るというところです。
ズーラは今はポーランド国内での成功と引き換えにパリ時代より悲惨な音楽を歌っている。
ヴィクトルとズーラはトイレに逃げ出し、悲惨で敗残者となった彼女は彼に助けを求める。
2人はバスに乗って廃墟になった教会に行き、結婚式を挙げる。2人は錠剤を飲んだ後に外へ行き、座って景色を眺める。
ズーラが「向こう側」(つまり此岸(しがん)から彼岸の世界)から見ようと提案すると2人は立ち上がって画面上から去り、風に揺れる麦畑だけが映し出される。
CrossRoad
ただ、このラストシーンからどうしてもエンドロールの間、映画とは関係のないこのBluesが脳内に流れてきてしまいます。(笑)
ポーランド代表チーム
私がポーランドについて知っていることと言えば教科書に載ってる「ショパン」や「キュリー夫人」映画監督の「アンジェイ ワイダ」と「ロマン ポランスキー」、現在世界最高のストライカーの一人である「レヴァンドフスキー」くらいですが、それ以上に強烈な印象を持っているのが1970年代中期のフットボーラー達です。
特に1974年のワールドカップ西ドイツ大会では3位決定戦でブラジル代表を破った時は、日本と米国を除いた(笑い)世界中で話題になりました。
優勝した西ドイツに対しても、あと一歩というところでした。
GKトマシェフスキーがヘーネスのPKを止め、ゴール前でベッケンバウアーが空振りし、ガドハやラトーに続けざまにシュートを打たれます。
GKマイヤーが奇跡的なセービングで防ぎ、最後G.ミュラーの一発に敗れます。
しかも、この時のメンバーには当時のポーランド最大のスターが欠けていたということです。
ヴォジミエシュ・ルバンスキ
1973年6月6日にホームのホジューフで行われたワールドカップ西ドイツ大会欧州予選、イングランド戦で相手DFロイ・マクファーランドの悪質なタックルを受け骨折した影響で本大会を棒に振ることになってしまいましたが、イングランドは彼によって以後8年間フットボールの荒野を彷徨うことになります。
民謡の再構築 River Boat Song
この映画の中でヴィクトルとズーラの関係が破局を迎える原因となったパリでのポーランド民謡「二つの心」のレコーディング。
現代のテクノロジーならば別のやり方もあったかなあと思ってしまいます。
これは最初朝倉さやさんが最上川舟歌を無伴奏で吹き込み、それにプロデューサーのsolaya さんが自由に音(伴奏)を重ねていくという手法をとっています。
https://youtu.be/wFF7I6WoUE0
なんかフィクションとノンフィクションの区別がつかないみたいですが。(笑い)
唄も映像も素晴らしいです。