緊急事態宣言以来、結果的に暇で自粛となってしまいました。

時間があったので「COLD WAR あの歌、2つの心」を観たのですが、すっかり引き込まれてしまい何回も観てしまいました。

冷戦時代のポーランドとパリを舞台にしたピアニスト ヴィクトルと歌手 ズーラの物語。

映画全編を通して形を変えて歌われる、ポーランド民謡「二つの心」




何回か観てるうちに「これは近松門左衛門の心中もの」という気がしてきました。

最初は冷戦をものともしないズーラの行動力に感心したのですが、やがて彼女の方がヴィクトルに振り回され、彼女の献身にかかわらず行き場を失くしてしまった二人はやがて死を選んでしまう。まるで近松門左衛門の世界だと思いました。(監督がどういうかは知りませんが)

最初観たときにラストシーンに何か違和感がありました。

ポーランドはローマ法王が出るくらい熱心なカトリック教国で、劇中では二人とも信仰があると語っていたのに心中(自殺)というのはどうなっているのかという点です。

ヴィクトルは「音楽バカ」というか状況を無視して自分のズーラへの思いだけで行動してしまう。結果的に状況を悪化させる。

ズーラは困難な政治状況の中で現実的な解決策を考え、実行する。

それが密告であったり、偽装結婚であったり。

そして最後は二人の死という悲劇で終わります。

以下は映画のあらすじ(ネタバレ)です。

1949年

冒頭から イリアンパイプみたいな楽器(ポーランドでは民族、地域により5種類あるとのことです)とフィドラーによる唄と演奏、初めて見た足踏みのアコーディオン。

ポーランドの民族音楽舞踊団を結成すべくヴィクトルとイレーナは民族音楽(フォークソング)を収集している。

そしてそのオーディションでヴィクトルはズーラという若く魅力的で野心家の女性に興味を抱くが、イレーナは彼女に危険な香りを感じたのか、自分を農村出身であると偽っていること、父親を殺害したために保護観察中の身であることヴィクトルに告げる。

おそらくヴィクトルとイレーナは関係があったと思われるが、ヴィクトルがズーラに惹かれて行くのが分かっていたのでしょう。

ヴィクトルはレッスン中、ジャズコードにも柔軟に対応するズーラに西側の音楽界でもやっていける才能を感じる。

1951年

ワルシャワでヴィクトルとイレーナは東側諸国へのツアーと引き換えに、プログラムに共産主義のプロパガンダを入れるように当局から圧力をかけられる。イレーナは反対するが、舞踏団の管理部長であるカチマレクはプロパガンダを入れることに同意し、イレーナは舞踊団を辞めてしまう。そしてヴィクトルとズーラは関係を深めていく。

スターリンの肖像画が描かれた垂れ幕の前で歌う舞踏団。このような映像は今でも某国で見ることができます。共産主義というのは変わらないものです。
昔観た映画『祭りの準備』で竹下景子が左翼の青年に影響されてしまい江藤潤のシナリオをけなすのと全く同じセリフをカチマレクはイレーナに語ります。

ズーラはヴィクトルにカチマレクの命令で彼の行動を密告していたと告げる。彼女の置かれている状況を考えれば致し方なく、カチマレクに適当な報告を入れるというのは最善の策なのですが、彼は彼女を許すことが出来ず、去ろうとする。

1952年

ヴィクトルは舞踏団が東ベルリンを訪れた際にズーラに西側に亡命することを告げ一緒に行くよう誘います。

この当時は「ベルリンの壁」ができる以前でした。しかし約束の場所にズーラは現れず、ヴィクトルは一人で亡命します。

1954年

ヴィクトルはパリのジャズクラブでピアノを弾いて暮らしている。

そして公演でパリに来たズーラと密会する。

ヴィクトルはズーラにあの時に来なかった理由を尋ねると、彼女は自分に自信がなかったのだと答える。そして二人はお互いの気持ちを確認する。

1955年

ヴィクトルはユーゴスラビアまで行き、目的は不明だが舞踏団の公演を鑑賞する。

そして案の定、いくら鉄のカーテンの締まりが緩いユーゴスラビアとは言え、カチマレクに通報され現地警察に捕まるが幸いにもワルシャワではなくパリに送還される。

ズーラは観客の中にいる彼を見つけて激しく動揺する。

この時にヴィクトルの愛情を確信し、彼を追ってパリに行くことを決意したのかもしれません。

1957年

ヴィクトルはパリで映画音楽の作曲家として働いており、そこに突然ズーラが現れる。

彼女はシチリアのイタリア人と結婚したことで合法的に出国していたが、教会で式は挙げてないと言う。そしてヴィクトルと暮らし始める。この瞬間が二人の幸福の絶頂であった。

ヴィクトルはズーラをソロ歌手として売り出す。しかしズーラは以前と違い自分の歌に信念を持っており、ヴィクトルの元恋人が創ったフランス語の歌詞は俗悪に思え、レコーディング中の仕事が彼らの関係性に亀裂を生み、彼女は酒に溺れ始めてしまう。

ズーラから見て今のヴィクトルは共産主義に代わって西側の商業主義に支配されていると感じられた。もはやヴィクトルの彼女に対する愛情は消えていて今は商品としかみてないように感じる。

パリでの暮らしに失望したズーラはレコードを1枚遺してポーランドに帰ってしまう。

ヴィクトルはパリのポーランド領事の助言を無視してズーラを追ってポーランドに帰国する。

やはり、ここでも全く勝算のない行動を起こします。
まあ、トム・クルーズでもない限りこんなことはしないでしょうが、やはり逮捕されてしまいます。

1959年

ズーラは収容所でヴィクトルと面会する。

そこで彼は祖国を裏切ってスパイ活動を行った容疑で「寛大」にも懲役15年を宣告されたことを明かす。彼の手は拷問により痛めつけられており、音楽家としての道は閉ざされていた。

命がけでズーラを追ってきたヴィクトルに対し彼への気持ちがよみがえったズーラは彼を助け出すと約束する。

1964年

釈放されたヴィクトルはクラブでカチマレクと歌手を続けるズーラと再開する。

ズーラはカチマレクと結婚することでヴィクトルを早期に釈放させる取引をしており、また男児を出産していた。

「この男児の父親が誰か」は彼女のみぞ知るというところです。

ズーラは今はポーランド国内での成功と引き換えにパリ時代より悲惨な音楽を歌っている。

ヴィクトルとズーラはトイレに逃げ出し、悲惨で敗残者となった彼女は彼に助けを求める。

2人はバスに乗って廃墟になった教会に行き、結婚式を挙げる。2人は錠剤を飲んだ後に外へ行き、座って景色を眺める。

ズーラが「向こう側」(つまり此岸(しがん)から彼岸の世界)から見ようと提案すると2人は立ち上がって画面上から去り、風に揺れる麦畑だけが映し出される。



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Posted by 安儀製餡所 at 21:37 映画音楽その他コメント(0)

漫才 PCR検査

2020年05月17日
青木:皆さん フリージャーナリストの青木で~す。

玉川:テレビ朝日の玉川で~す。

青木、玉川:二人そろって ブルーボール で~す。

青木:玉川君、どうやね最近の景気は?悪い風邪が流行ってるけど。

玉川:ほんまにさっぱりやわ。

青木:風邪にうつったらあかんていうて家にばっかり居てるし。

玉川:ほんまやで、僕もオカンに「外に出るな、」て言われてるは。でもな家にばっかり居てたらイライラしてよう揉め事があるね。

青木:そう言えばうどん屋やってる君のオジサン戯作者の平田はんと喧嘩したんやて。

玉川:そうやね。オジサン、平田はんとこに出前に行ったんや。まあそこで社交辞令で「外出自粛で不景気やしお互い苦労しますなあ」てゆうたん や。そうしたら君も知ってると思うけど平田はん威張ってるやろ。そんで「お宅らみたいなうどん屋は風邪が収まったらなんぼでもうどん作って売ったらよろしいけど私ら芝居はそうはいかん。一緒にせんといてくれるか。」と言われたんや。

青木:オジサン怒ったやろ。

玉川:そら怒ったよ。「何様や思うてんね。この河原XXXが。この界隈ではあんたとこに出前する食い物屋はないで。」言って喧嘩して帰って来たんや。

青木:オジサンは平田はんみたいなインテリ嫌いやしなあ。

玉川:そうやね。オジサンこの間も市会議員の高井さんに連れられて無国籍パブ”Liken"ていうキャバクラに行ったんや。

青木:おいおい、外出自粛違うんかい。

玉川:まあ、ええやんか。そこのキャバ嬢にな、オジサン「わたし、あんたみたいな高卒はいややねん」て振られたんや。それで余計気が立ってたんやと思うわ。

青木:ほんまかいな、気の毒になあ。それはそうとして、君とこの会社でもえらい風邪が流行ってるそうやないか。

玉川:そうやね。君も知ってるやろ、営業部のエース富川君。彼が風邪ひいてしもたんや。しかも悪いことに風邪ひいたこと隠して出社したもんやから社内だけやなくてお得意さんにもうつしてしもたんや。

青木:そら、あかんな。

玉川:そうやろ。彼は日頃からみんなに「風邪ひいたら会社に来たらあかんで」て言ってたからなあ。可哀想にみんなにいろいろ言われてんねん。

青木:そうか、可哀想になあ。あんまり同情してもらわれへんのやなあ。

玉川:そういえば、うちのオカンが言うんやけど、この風邪には何とかいう検査がええんやてなあ。

青木:君それはPCR検査違うか。PCR検査ゆうたら

ポリメラーゼ連鎖反応(ポリメラーゼれんさはんのう、英語: polymerase chain reaction)のことで、DNAサンプルから特定領域を数百万〜数十億倍に増幅する一連の反応またはその技術である。英語表記の頭文字を取ってPCR法、あるいは単純にPCRと呼ばれ、「ポリメラーゼ・チェーン・リアクション」と英語読みされる場合もある。

DNAポリメラーゼと呼ばれる酵素の働きを利用して、一連の温度変化のサイクルを経て任意の遺伝子領域やゲノム領域のコピーを指数関数的(ねずみ算的、連鎖的)に増幅することで、少量のDNAサンプルからその詳細を研究するに十分な量にまで増幅することが目的である。医療や分子生物学や法医学などの分野で広く使用されている有用な技術であり、開発者はノーベル賞を受賞した。

のことや。

玉川:それでな、オカン言うには、この検査やったら風邪が収まるていう話なんや。

青木:ほな、PCR検査違うな。PCR検査は治したりせえへんで。

玉川:でもな、この検査受けたら風邪ひいてるかどうか分かるていうことなんや。

青木:はな、やっぱりPCR検査やないか。PCR検査言うたらこの風邪にかかってるかどうか陰性か陽性かわかるんや。

玉川:ほんでや、この検査一杯やったら風邪が流行るのが収まる言うて外国では日本より仰山やってるんや。

青木:ほなPCR検査違うなあ。ヨーロッパでもアメリカでも日本より仰山PCR検査やってるけど死亡者数も死亡率も無茶苦茶高いで。

玉川:オカンが言うには、「これには裏技があるんや、この検査だけではあかんのや。」 オトンとオカンえらい喧嘩したやろ。

青木:聞いてるで。

玉川:実はオカンがコッソリとオトンのスマホに位置情報のアプリ入れたんや。これがなかったら役に立てへんらしいんやけど、それでオトンがキャバクラ行ったのがバレたんや。

青木:災難やなあ。けどそうしたらやっぱりPCR検査やなあ。

玉川:ただな、この検査えらい混んでてな。しかも保健所は土、日や祭日やってくれへんねん。

青木:ほんなら、PCR検査違うなあ。PCR検査やったら保健所が頑張って休みなしでやってるで。

玉川:そんでな、その検査は凄く難しくてなかなか受けさしてもらわれへんねん。

青木:なんやて、たかが検査やないか(大声で怒りながら)、なんで他所の国みたいに仰山受けられへんね。

玉川:そうやろ、澁谷さんていうWHOの方から来たていう偉い人がな。

青木:「方から来た」てなんか胡散臭いなあ。うちにもよく電話かかってくるで。NTTの方からとか関電の方から言うて胡散臭い電話が。

玉川:ちゃうちゃう、この人は賢い人でWHOの上級顧問やで。

青木:WHOに上級顧問ていう役職ないと思うけどなあ。

玉川:そう、なんでもWHOのテドロスていう偉い人の個人的顧問らしいわ。

青木:なんか、ますます胡散臭いなあ。

玉川:その人が言うには、この検査を国民全員に受けさせたら医療崩壊も起こせへんらしいね。

青木:ほんなら、やっぱりPCR検査違うなあ。PCR検査みたいなん国民全員が受けたら終わるのに2年くらいかかるで。お金もえらいかかるし、だいいち2年もかかったら最初に受けたらその間に風邪うつってまうで。

玉川:まあな、この間もヨーロッパから帰って来たお医者さんがPCR検査なんか無茶苦茶増やしたらあかんで言ってたなあ。

青木:ほんなら、あかんやんか。

玉川:大丈夫。うちの会社がもみ消したから。

青木:君とわやってられんわ。

青木、玉川:失礼しました。
 
自粛でYou Tube 見てたら、玉川さんと青木さんという二人が結構有名みたいなので戯れで二人をネタにミルクボーイ風の漫才の台本を書いてみました。

暇な人は読んでください。








タグ :PCR検査

Posted by 安儀製餡所 at 23:00 その他コメント(0)
コロナウイルス過の影響は様々な産業に影響を及ぼしています。

私たち製餡業者にとっても3月以降非常に深刻な状況に陥っています。

大口ユーザーである和菓子店では緊急事態宣言から進物、手土産などの需要がなくなりました。

観光地の土産物用の売り上げに至っては全然ありません。

比較的堅調であったいわゆる街の和菓子屋さん、パン屋さんにしても緊急事態宣言が出てからは休業するところも増えてきました。

大手のパン屋さんは「巣ごもり需要」とかで比較的潤っている会社もあるとは聞きますが。

このような未曽有の災厄は得てして人の様々な面を浮かび上がらせることがあります。

平田オリザ氏の製造業に対する発言

平田オリザという人がすごい発言をされました。

https://blogos.com/article/455346/

零細といえども私も経営者の端くれですので平田オリザ氏の気持ちも分かります。

まあ、製造業の末端に携わる者としては少し腹も立ったのですが同時に関西人としては故桂米朝さんの言葉を思い出してしまいます。

末路哀れは覚悟の前やで

わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。

『芸人は、米一粒、釘(くぎ)一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかいに、むさぼってはいかん。

ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へのお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』


もっとも平田オリザ氏のことですから「演劇を落語なんかと一緒にするな❕」と仰るかもしれませんが。(笑)



Posted by 安儀製餡所 at 19:47 その他コメント(0)
NHKから現在、今年の紅白歌合戦にクイーンと出演交渉中であると発表がありました。

昨年の紅白歌合戦でAIによる「美空ひばり」を出演させたNHK会長は「今年は同様にフレディ・マーキュリーを復活させる。現在残りのメンバーと交渉中で、決まればVR映像と共演してもらう。NHKの技術をもってすればヒットラーでもスターリンでも復活させることができる。できないのはイエスキリストだけだ。」と発言し全世界に波紋を呼んでいます。

これに対し、芸能界引退後政治家に転身しこの度N党の党首に就任した 沢尻エリカ氏 は「NHKはいつからフランケンシュタイン博士の末裔になったのか?これでは受信料は払えない。」とインタビューに答えていました。

言うまでもなく、全部嘘話です。
Posted by 安儀製餡所 at 09:43 その他コメント(0)
大阪(関西)の地盤沈下について少し前にあれこれ書いてきましたが、平成になってから確実に東京(関東)に勝っていたものがあります。

JRAでは関西が確実に関東を凌駕していました。近年はその差が縮まってきたとはいえ、2019年12月11日現在で賞金獲得額の比率は栗東61%,美浦39%です。

その理由としては

栗東トレセンに坂路コースができた。
関東の有力馬主が栗東トレセンに馬を預けるようになった。
東西の交流が活発になり関西馬が早いうちから直線に坂のある関東のコースを経験出来るようになった。
競走馬の購入が庭先取引から市場セリになり、有力馬が関西にも入厩されるようになった。
栗東の若手調教師による技術革新。

その他色々な理由が考えられますが、とにかくそれまでずっと劣勢であった関西馬が関東馬に勝ってきたのです。
このことから、他の分野でも決して大阪の地盤沈下を止めることは不可能ではないと言えます。

その昔、作家の故 山口瞳さんが「来年のダービー馬のことを考えたら死ねない。」と書かれていたのを読んだことがあります。
チャーチルが「一国の首相になるよりダービー馬のオーナーになるほうが難しい」といったぐらいです。

しかし、どうでもいい話ですが、私などはだいぶ前から「どうせサンデーサイレンスの産駒の一番強い馬に武豊騎手が騎乗して勝つのか。」と思って全く興味が無くなりました。(ただし、武豊騎手の功績を批判するつもりは全くありません。)まあ、いまはディープインパクトかキングカメハメハですか。とにかくエリート中のエリートしか脚光を浴びることがないようです。

三冠馬の価値の低下

日本では三冠馬になることはサラブレットにとって最高の栄誉とされてきました。
しかし近年三冠最後のレースである菊花賞の価値が低下して久しく、イングランドやアイルランドみたいに二冠を取った馬が菊花賞(セントレジャー)をパスしたり、アメリカのように春の皐月賞、NHK杯マイル、ダービーを三冠にするという時代が来るかもしれません。

タニノムーティエ

幻の三冠馬とよ呼ばれている馬は何頭もいますが、菊花賞や三冠馬の価値の低下を思うと、なぜか、この昭和の時代の名馬のことを思い出しました。

https://youtu.be/WqFzHCsfbyY

今でいう2歳夏のデビューからダービーまで、その勝利を含めて15戦12勝という現在では考えられない過酷なローテーションで走り抜けました。

昭和の時代は東西でそれぞれ2歳チャンピオンを決め、翌春になって関西馬が東上して初めて対決するというのが恒例でした。
昭和44年はタニノムーティエとアローエクスプレスがそれぞれ圧倒的な強さで東西の2歳チャンピオンになり、翌年のクラシックレース(今となっては死語ですが)は盛り上がりました。

スプリングS、皐月賞でのアローエクスプレスとの激闘、ダービーでは新しいライバル ダテテンリュウを下し圧倒的な強さで二冠馬に輝きます。

日本の高度経済成長が一つのピークを迎える昭和45年、その姿は世界中からエコノミックアニマルと揶揄されるくらい働いて奇跡の経済復興を成し遂げた日本人を映し出してるようでした。

アローエクスプレス

対照的な二頭。タニノムーティエはワンマンオーナーのハードトレーニングを生き残り、ムーティエ街道と呼ばれた3~4コーナーの大外を回って凄まじい追い込みで勝ち続ける、かたやアローエクスプレスは雄大な馬体を誇る良血馬でそのスピードを活かして先行して抜け出す。当時は今のように関西の2歳馬が関東でレースに出ることはなく、エリート対叩き上げが東西を代表して対決するということで盛り上がりました。

今でいう牡馬のG1レースは2000m以上しかなく、血統的に距離適性に不安があったアローエクスプレスは結果的に皐月賞こそが唯一のチャンスだったと言えます。現在ならこの馬こそ別の選択肢を取ったでしょう。

夏以降の一変する運命

夏をオーナー所有の牧場で過ごすのですが、ここの環境が最悪で競走馬として致命傷の喘鳴症を発生してしまいます。

現在なら出走させるだけでSNSで叩かれるでしょうが、陣営は菊花賞出走に踏み切ります。

https://youtu.be/d4SB2p-XxLg

今思えば当時は大らかな時代でした。ファンもタニノムーティエへの餞別代りか単勝馬券もそこそこ売れました。

この動画にあるように3000mを完走することさえ危ぶまれていたタニノムーティエが一瞬往年の豪脚を使い京都競馬場に地鳴りのような大歓声が起こります。

タニノムーティエとアローエクスプレスのその後

ご存知の通り、種牡馬としてはアローエクスプレスは産駒にそのスピードを伝え成功しますが、ハードトレーニングによって培われた競争能力は産駒に遺伝されなかったのかタニノムーティエは失敗に終わります。

ただしこの後、弟のタニノチカラが大活躍をし、この血統の優秀さが証明されたので残念です。

現在はこの時代と比べると本当に進歩し洗練されたように思います。昔は8大競争を勝つことが究極の目的だったのが、今やG1競走は増産され、距離、性別で分けられ、しかも海外まで選択肢は増えています。調教技術の進歩は目覚ましく有力馬はG1から休み明けでG1というローテーションで出走することも珍しくありません。

しかし今思うと、当時の泥臭いというか人間臭いというか、それも魅力的に感じます。

菊花賞でのタニノムーティエへの大声援も、当時でもシンザンという成功モデルがあったはずですが、それでも毎月のように走り勝ち続けダービ-まで15回も出走しファンを楽しませ、いわば人災によってターフを去ることになってしまったことに対して自然と起こったのでしょう。


アローエクスプレスで話題になった当時若手だった柴田騎手からベテラン加賀騎手への乗り替わり、この悔しさを糧に柴田騎手は一流騎手になられたとのことですが、エージェント制が進んだ現在ではそもそも若手騎手がアローエクスプレスのような馬に乗ることはありません。今なら最初からルメール騎手が乗っています。(笑)

まあ、昔と比べて味気なく感じるのは私の年のせいでしょう。(笑)












Posted by 安儀製餡所 at 18:53 その他コメント(0)

映画 「シェーン」

2019年12月31日
昨年の大晦日、 「紅白」とか「ガキの使い」 と同時間帯で名画「シェーン」が放映されました。

朝刊のテレビ プログラムを読みながら「日本中で一体何人の人が観るのか?」と思っていたのですが、結局自分がそのうちの一人になってしまいました。



大晦日、食事が終わると家族は各々どっかに行ってしまい一人残った私は最初、何とはなしに観ていたのですが、やがてその魅力に引きずり込まれていきました。



「シェーン」は子供の頃、私が父に連れられて怪獣映画以外で初めて大阪まで観に行った映画です。
やはり、改めて観ていると昔観たときには気付かなかった所がよくわかりました。

途中からこの映画はどっかで同じような話があったなと感じだしたのですが、思い出しました。

そう、向田邦子さんの「あ・うん」です。

映画「あ・うん」での 高倉健 が シェーン、板東英二 が スターレット 富司純子 が スターレットの妻マリアン という感じです。

山田洋二監督もこの話を何回かリメイクしているのですが、何か話が味気なく感じたのはこの三角関係が描かれていなかったためだと思います。



この映画では最後、南部側のシェーンが「北部の豚野郎(当時の字幕)」と言って、全員を打倒していったことです。

子供の頃は単純に南部=悪、北部=善 みたいなイメージを持っていました。

シェーンとスターレットの殴り合いにしても当時は理解できなかったですが、今観るとよくできています。

シェーンとしてはあの状況で最善の選択を取ったということです。
つまり父親の威厳を保たせたまま、子供のジョーイに嫌われた形で決闘に赴くために拳銃の握りで スターレット を殴り倒していく。

この映画のテーマの一つであるホームステッド法は後に「天国の門」という映画でも描かれました。ただしこれは歴史的な失敗作となりその映画会社は倒産ししまいました。



Posted by 安儀製餡所 at 17:15 映画コメント(0)
「アイリッシュマン」という映画が話題になっています。

【監督】 マーティン・スコセッシ

【キャスト】 ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテル

【音楽】 ロビー・ロバートソン

ということで非常に観たいのですが、私くらいの年齢の家族がいる男が一人で映画館に行くというのはなかなか難しいものです。

小説の方を買ったので正月休みに読みたいと思っています。

映画「タクシードライバー」

私がマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロのコンビで一番最初に観た映画と言えば「タクシードライバー」です。

初めて観たときはかなり衝撃を受けました。もっとも意味不明だったロバート・デ・ニーロの行動は現在は PTSD という言葉で解決するのでしょうが。

最初のデートで女性をポルノ映画に連れて行って振られたり、大統領候補の暗殺を企て、それに失敗するとチャールズ・ブロンソン扮するポール・カージーみたいなことをはじめて最後には無罪になって街の英雄になる。そう言えば当時「ディア ハンター」とか「ローリング サンダー」とかいわゆるベトナム戦争の後遺症をテーマにした映画がよく創られていました。

理解不能な彼の行動ですが、そのうちの一つが「ロバート・デ・ニーロがテレビを観ていて、ジャクソン・ブラウンの Late for the Sky が流れてくる。そして最後に切れてしまう」というシーンです。

https://youtu.be/IHxuij9Rm-4

改めて見ると若き日のロバート・デ・ニーロのNYの孤独と苦悩を一身に背負う表情は凄いと思います。

しかし、この歌はロバート・デ・ニーロが切れるのを誘発してしまうような内容なのか?、そもそも Late for the Sky という曲名の意味がずっとわかりませんでした。

そこで今回ネットで調べてみたところ次のブログを見つけました。

http://neverendingmusic.blog.jp/archives/20387165.html

ここでジャクソン・ブラウン自身がインタビューに答えている内容が書かれていました。

 "レイト・フォー・ザ・スカイ"…これこそ、まさにその例だよ。これもタイトルから始まった曲なんだ。僕がある人にさよならを告げるときに言った言葉だった。"もう行かなきゃ"ということを告げるのに、馬鹿馬鹿しくなるくらいドラマチックな言い方だったんだ(笑)。つまり「遅れそうだ。飛行機に乗らなきゃならないんだ。もう行くよ」ということ。しかも早朝のフライトで、夕刻遅くではなかった。それなのに「空(飛行機)に遅くなる」と言ったんだ。そのことを覚えていたんだよ。そして曲になった。
 僕にとって曲を書くというのは、そういった、たったひとつのフレーズがさらに響き渡ってくるような、比喩表現やクリエイティヴな文脈を見つける作業に過ぎないということもよくある。もしくは口にしたとき、結果的にそういう意味になるか…。


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Posted by 安儀製餡所 at 16:46 映画音楽コメント(0)
プロ野球のドラフト会議が終わってしばらくたちますので、誰も取り上げることもないので少しこのことについて書いてみたいと思います。

スポーツライターのご意見

球団が決まった瞬間、凍りついた佐々木の表情が波紋を呼んでいる。それはまさに、これまで懸命に追い求め、積み重ねてきた佐々木の野球人生が思考停止し、立ち往生せざるをえなかった、愚かなプロ野球の現実を表しているように思う。


この記事を書いた小林信也という人(スポーツライターらしいです)の記事はここで読めます。


https://ceron.jp/url/diamond.jp/articles/-/217996

この方のご意見を要約すると(多少この方に対する私の偏見も含まれていますが(笑))以下のようです。

①佐々木投手のような才能のある選手をロッテマリーンズのようなパリーグの球団に入団させるのは可哀想だ。(私が推察しているだけです。小林信也氏本人に確認したわけではありません。)

②NPBの発展を阻害しているのはドラフト制度である。(決して読売グループが言っているではありません)

③阪神タイガースに育成能力はない。(決して私が言ってるのではありません。小林信也氏のご意見です)

④お金や人気のないパリーグの球団はアマチュアの有名選手を入団させる資格はない。

⑤特定の球団を除けば2軍以下の労働環境は劣悪だ。

⑥大の大人がくじに一喜一憂するのはみっともない。(完全ウエーバー制にすればいいだけなのですが、それは球界の盟主が反対するのが現実です。)

⑦選手育成をすっかりアマチュア球界に任せきり、自分たちはその上澄みをクジ引きで分け合うだけの非道なプロ野球界が猛省し、目を覚ますよう願ってやまない。(あまりにも素晴らしいご意見なのでそのまま引用します。まあ、プロ野球というのはそういう非道なもので、だからこそ普通の人より成功すれば金や名声が得られると思うのですが。)

⑧選手も、自分の野球観や哲学、選手としての特性や課題、さらには人生設計などを考慮した上で、それを実現できる環境か、価値観を共有できるチームかを見定め、納得した上で球団を選びたいところだ。(これも文章をそのまま引用します。つまり、アマチュアも入団の際代理人をつけろということ?)

⑨高校球界で強打を誇った井上選手の未来を案じる声もある。いわゆる金属バット打法で、バットの先っぽでも、あるいは手元で詰まっても持っていく。だが、木製バットで 快打を飛ばせるか?(これも文章をそのまま引用します。こんなことを言うならスポーツライターなんだから自身で高野連に対して金属バットの廃止運動を起こせはいいのですが。)

育成能力とは

この方のおっしゃっている 育成能力 とは何を指すのでしょうか。

私が推察するには” ドラフト1巡目に指名されるようなアマチュアの有名選手をすぐに活躍させる球団が育成能力が高い ” と考えているように想像してしまいます。

しかし私が思うにはドラフト1巡目に指名される選手は一般的に完成度が高いと思われます。それよりもドラフト1巡目以外や育成入団の選手が活躍している球団が育成能力が高いといえるのではないでしょうか。例えばロッテマリーンズの福浦選手のような。

プロ野球の発展

この方の書いたものに私が違和感を感じるのは、この方が持っているプロ野球の発展した姿というのが全く書かれていないからです。

私のようなパリーグのフアンの人間にとって一昔前の読売ジャイアンツの独占状態でパリーグが滅亡の危機にあったころより、今のほうがよっぽど好ましいといえます。

もちろん日本は憲法で言論も思想も自由が保障されています。したがってこの方が読売ジャイアンツによる独占がプロ野球の発展に繋がると考えるのも自由です。

したがって、ドラフト制度を廃止すればどのように発展した姿になるのかを示してもらいたいものです。

数年前新聞に「ドラフト制度も随分様変わりした、一昔前はパリーグの球団の指名されれば入団拒否する選手がたくさんいたが今はほとんどいない」みたいな記事が載っていました。

この流れは近鉄バファローズの野茂投手が創ったといえます。

つまりパリーグの球団に所属する選手にとって自らの力を正当に評価する組織があることがわかったのです。

それは言うまでもなく偏向報道しかしない日本のマスコミでもスポーツジャーナリスト達でも、プロ野球ファンという人たちではありません。

MLBだけが彼らの力を正当に評価すると言えます。

つまりMLBでプレーするという目標を持っているアマチュア選手にとってはセリーグ、パリーグにこだわる必要がなく、むしろ「明らかにレベルが高いパリーグでプレーするほうが有利である。」と考える人がいても不思議ではありません。
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Posted by 安儀製餡所 at 21:25 野球コメント(0)
昭和の時代 子供が好きなものを 「巨人、大鵬、卵焼き」といったものですが、現代の大阪について世間の人が持っているイメージを
それ風に言えば 「吉本、粉もん、タイガース」となるでしょう。 

まあ、この本は私のように 特に面白い事が言えるわけでもなく、阪神タイガースのファンでなく、お好み焼きをおかずにご飯を食べたりしない大阪の人間にとっては心強い味方です。

大阪=がめつい というイメージは誰が創ったか

「がめつい」というのは」 菊田一夫が創った言葉で、今の大阪のイメージは 菊田一夫、今東光、花登 筺(はなと こばこ)が作り上げたものという意見には納得がいきます。まあこれと勝新太郎、田宮二郎コンビによる映画「悪名シリーズ」もこの辺のイメージ造りに一役買っていったかもしれません。

田辺聖子さんが 花登 筺氏の作品が嫌いだったとか今東光氏が地元では評判が悪かったとかいうのはなにかわかるような気もします。

それに いまや「がめつい」という言葉は生き馬の目を抜く東京のビジネス界に当てはまるものです。

阪神タイガース帝国主義の完成

大阪が阪神タイガース一辺倒になっていった過程というのは私はリアルタイムで体験しています。

まあ、友部正人氏が初めて大阪にやって来たころからスポーツ新聞は「阪神」のことしか書いてなかったのですが、それでも大阪の民放やスポーツ新聞は今みたいな 阪神タイガース一辺倒ということはなくそれなりの公平性は持っていました。

これを崩したのは「中村鋭一氏」の登場と関西経済の地盤沈下でしょう。

要するに東京への一極集中が進む中、関西にプロ野球の球団を4つも養う経済力はなくなってきたのです。

大阪の民放各局としてはこれを打開するために巨人戦という超優良コンテンツを持つ阪神タイガースを持ち上げていく。
1970年代の初頭ちょうどいい具合に大阪の朝日放送に「中村鋭一」という阪神狂(教?)のDJが登場して来た訳です。
そして大阪の他の民放各社もこの流れに乗った。これが大阪の阪神タイガース帝国設立の歴史です。(まあ、私のような南海ホークスのファンからみればですが)

阪神タイガースへの一極集中と同時に、パリーグ3球団の排斥運動をしていったわけです。
結果、パリーグはビッグコミックオリジナルの中にだけ存在する架空の存在になってしまいました。

ただこの本にあるように南海ホークスファンの読売ジャイアンツへの恨みが昭和34年の日本シリーズで巨人に4連勝で勝ってからおさまっていったというのは間違いです。

私の父などは死ぬまで「別所引き抜き」は言うに及ばず、「長嶋茂雄は本当は南海ホークスに来るはずだったのを読売ジャイアンツに横取りされた」とか「スタンカのあの一球は絶対ストライクだった。」とか言ってました(笑)。

南海ホークスは親会社がその沿線の主産業である紡績業の衰退により読売グループに対抗できなくなっていきました。
かわって昭和40年代は親会社の経済基盤がしっかりしている阪急が西本監督の指導の下パリーグの覇者となっていきます。

しかしその阪急もいくら企業努力をしても阪神タイガースしか取り上げないマスコミに嫌気がさしたのか、やがて球団をオリックスに売却し、最後には阪神電鉄を会社ごと吸収してしまいます。(笑)

阪神タイガースこそが球団経営の理想と言えます。お金をかけなくてもマスコミが勝手に人気をあおってくれる。結果どんなに成績が悪くとも球場は満員。優勝しないので人件費は高騰しない。この優良コンテンツを見逃す手はないというものです。断っておきますが、別に阪神タイガースを批判するつもりはありません。(そんな度胸はありません。 まあ、マスコミには多少の恨みはありますが。)

その後、南海ホークスはダイエーに身売りされて福岡に行き、阪急ブレーブスはオリックスブルーウェーブとなり、やがて近鉄バファローズと合併してしまいました。これも時の流れというものでしょうか。


食い倒れ太郎

私のような年齢の人間にとって「食い倒れ太郎」と言えばやはり 上田正樹とサウス・ツウ・サウスの「ぼちぼちいこか」のアルバムジャケットです。



この当時から 食い倒れ太郎 は上田正樹とサウス・ツウ・サウス とともに大阪の象徴でした。(笑)

井上 章一氏はこの歴史的名盤については残念ながらご存知なかったようです。

友部正人 大阪へやって来た



上田正樹とサウス・ツウ・サウス ぼちぼちいこか

ここで全部聞けます。

https://youtu.be/FYSIz5ZK0u0

Posted by 安儀製餡所 at 18:18 本棚コメント(0)

Kathy's Song

2019年11月20日


この「ポール サイモン ソングブック」 のアルバムジャケットに若いポール サイモンと一緒に写っている女性がKathy です。

And as I watch the drops of rain
Weave their weary paths and die
I know that I am like the rain
There but for the grace of you go I
(=But for the grace of you, I go there 慣用句ではGodですが、ここではyouに置き換えられています。)

この唄の最後の歌詞にポール サイモンの当時の気持ちが込められています。

私は小道を流れ、いずれは消えていく雨の雫を見つめている。
私は自分がその雨のような存在なのは知っている。
でも、彼女のおかげでこうして生きて行けるのだ。

ポール サイモンはファーストアルバムの失敗からアート ガーファンクルは大学にもどり、失意のうちに一人イングランドに渡ります。
そこで彼はマーティン カーシーやデイビー グラハム、バート ヤンシュ、 ジョン レンボーン、ジャクソン C. フランク達と出会うことになります、そしてKathyと。

絶望的な状況の中で彼の拠り所はKathyだけだったのでしょう。
彼女のおかげで私たちは彼の素晴らしい歌を後に聴くことが出来たと思うばかりです。

ポール サイモンはご存知の通り本人の知らないところでフォークロック調に変わった「Sound of Silence」が大ヒットし、アメリカに戻り、
サイモンとガーファンクルを再結成し大スターになります。

その後Kathyはどういう人生は歩んだのか。何十年も気になっていました。

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Posted by 安儀製餡所 at 22:46 音楽コメント(0)
Duane Allman が レイラ の録音時に使用していたギターがオークションに出されて売却されたというニュースが流れました。

https://www.barks.jp/news/?id=1000170880

世間の話題に疎い私もネットのニュースで流れていたのでこの件は知っていたのですが。

その時私は車を運転していたので、大阪の民放ラジオから一生のうちでJessica 以外の Allman Brothers Band の音楽を耳にすることはないであろう局アナから Duane AllmanやAllman Brothers Band という単語が出てきたので驚きました。

ゴールドトップ レスポールを弾くDuane Allman(多分アトランタ ポップフェスティバル のもの)



おそらくエリック クラプトンとレイラというキーワードからニュースで取り上げたのでしょう。

彼はどうしてギタリストのDuane Allmanがエリック クラプトンのバンド デレク&ザ ドミノス でギターを弾いていたのかは何の説明もせず売却金額の話ばかりしていました。

そんなにエリック クラプトンが好きなら、彼がクリーム解散後、The Band の Music From Big Pink を聴いて衝撃を受けアメリカに渡ってデラニー&ボニーのツアーに参加し、そのバンドのメンバー達とデレク&ドミノスを結成した。

ウイルソン ピケット や アリーサ フランクリン の曲でDuane Allmanに注目していたエリック クラプトンにプロヂューサーのトム ダウトが二人を引き合わせた。

レイラでもロック史上最も有名なリフの一つである、あのイントロや後半のスライドギターを弾いているのがDuane Allmanです。

まあ、このくらいは説明してくれてもいいとは思うのですが。

Duane Allmanはインタビュアーに「スライドがあなたと言われているが他の曲ではどちらがどのパートを弾いているのか」と質問されたところ、彼は「ストラトを弾いているのがエリックでレスポールを弾いているのが俺だ。ストラトとレスポールの音を聞き分けられたら、わかるはずだ。」と答えたそうです。

まあ、非常にカッコイイのですが、昔の音楽雑誌の記事なのでどこまで本当か、眉唾物な気もします。



デレク&ザ ドミノス でのDuane Allmanのスライド以外での演奏の代表的なものとして

ギターソロのラストで Joy To The World が聞ける Why Does Love Got to Be So Sad?



ジミ ヘンドリックスで有名な Little Wing




最後に珍しいレイラのDuane Allmanのスライドだけをとりだしたもの



Posted by 安儀製餡所 at 21:47 音楽コメント(0)

黒餡?

2019年08月16日
最近 『黒餡』という言葉を耳にしました。

まず最初にお断りしておきますが、黒餡 というのは 黒大豆 で作った あんこ ではありません。

Yahoo 知恵袋に「黒餡は黒大豆で作られている(驚くことにこれがベストアンサーになっていましたが)」と載っていたので少し指摘しておきたいと思います。


基本的に黒餡とは和菓子屋さんや我々製餡業者が小豆を使って作った赤こし餡(一部粒あん)のことをその見た目から消費者が【黒餡】と呼ぶケースです。

この場合、製餡業者はおそらく自らは黒餡というものを作っているつもりはないと思います。

餡(赤こしあん)の色



餡の色と一口に言っても使用している原材料や製造方法によって違ってきます。

原材料による餡の色の違い

一般的に北海道産の小豆の場合、上質のものほど餡にすれば紫色に近い色に仕上がると言われています。
一方、中国産小豆は北海道産と比べて色が濃い(黒い)のが特徴です。

また丹波大納言の場合は兵庫、京都、岡山産を問わず北海道産のものと比べ色が赤いのが特徴です。



北海道産小豆



大納言小豆

もっとも赤こし餡と言っても原材料に全く小豆を使っていないものもいないものも存在します。


また、色を薄くするために 一般的に白こしあんの原材料であるいんげん豆を一部混ぜている和菓子屋さんもあります。



手亡豆



製造方法による違い

これは基本的に豆の炊き方によって変わってきます。

丁寧に渋切をして豆の腹切れを起こさずに炊いてやれば北海道産小豆は紫色に、丹波大納言は赤色に近く仕上がります。

いわゆるこの渋切(豆の煮汁を捨てる)を行わなかったり、不十分であれば 黒餡 と呼ばれるあんこになります。

また、豆が腹切れを起こしてしまうと、餡粒子が渋(煮汁)が流れてしまうため渋切がうまくいきません。いわゆる餡粒子に渋が着いた状態になり餡粒子本来の味が損なわれ、餡の色は黒くなってきます。

この辺の要因が絡まって皮むきや晒し工程を通らずに、釜の中で餡になっている場合 黒餡が出来上がります。(もっとも皮肉なことに経済的にはこのあんこが一番効率が良いのですが。)

皮むき餡

皮むき餡とは餡の色を黒くしない(薄くする)ために煮豆工程の前に小豆の皮をむき、それから煮豆して製餡したものです。
従って、どうしても普通に作れば小豆の風味は薄くなります。(対応方法もあるのですが)


黒大豆を使った餡

さて、黒大豆を使った餡というのもわずかですが存在します。(黒豆かのこではありません。)

実は弊社でも数年前に某コンビニで黒豆モンブランを販売したときにこの黒大豆を使った餡というのを作って納品しました。


黒豆餡

まあ、作るのに非常に手間がかかるのでどの製餡業者もやりたがらないようです。







タグ :黒餡

Posted by 安儀製餡所 at 20:42 あんこ豆知識コメント(0)
スピルバーグ監督からグレムリン3あるいはバックトゥザフューチャー4の制作発表がありました。

話の内容は以下の様になる模様です。


20XX年 朝食を取っているマーティの所にドクが血相を変えて未来から帰ってくる。


ドク 「未来が大変なことになっている。すぐに201X年に一緒に行ってくれ。ダニエル・クランプの奴が合衆国大統領になって、合衆国はもちろん世界中が大混乱になっているんだ。」

マーティ 「なんだって、ダニエル・クランプが大統領になるって。僕が昔1955年に戻った時、レーガンが大統領になるってみんなに言ったら驚いていたがその時と同じくらいの驚きだ。」

そう言って二人はデロリアンに乗り込んで201X年に向かった。

そこでマーティが目にしたものはメキシコとの国境沿いに造られた巨大な壁と大混乱に陥っている合衆国、いたるところで紛争が起こっている世界であった。



マーティ 「ドク、過去に戻るんだ。 奴のクランプタワーは1990年に一度グレムリンに徹底的に破壊されているだろ。」

ドク 「何言ってるんだ。あの時は奴は保険で難を逃れたんだ。」

マーティ 「だから、過去に戻って保険の免責条項にグレムリンによる破壊を入れて奴を破産させるんだ。改ざんしたところで誰もグレムリンによる破壊なんて気にしないさ」

ドク 「なるほど、じゃあ早速1990年のNYへ」



1990年のクランプタワーがグレムリンに破壊された時点に戻った二人は早速計画を実行し始めた。

そこではダニエル・クランプが被害の補償について保険会社と交渉していた。

マーティ 「奴は一社だけしか保険契約していない。こことの契約時点まで戻るんだ。」

二人はダニエル・クランプがXXX損害保険と契約を結んだ1988年に戻り、そこでXXX損害保険の社員と知り合いになった。

二人は彼に目的を伝え保険の免責条項にグレムリンによる破壊を加えることに成功した。


1990年に戻った二人はグレムリンによってクランプタワーが破壊されるの確認し、しかも保険金が支払われないことを知り、ダニエル・クランプは精神に異常をきたしたのだった。

ドク 「少しかわいそうだが、これで奴が大統領になることはないだろう」

マーティ 「201X年に戻ってみよう」



201X年に戻ってきた二人が見たものは以前にみたのと全く同じ光景で、相変わらずダニエル・クランプが合衆国大統領になっていた。

マーティ 「なんてことだ。 歴史を変えることはできないのか。俺たちのしたことは頭のおかしな男を大統領にしただけだったのか」



そこへ一人の屈強な男が葉巻を煙らせながら現れた。「だからお前たちのやることは生ぬるいんだ。」その男はそう言い放つと、

全裸になり過去へと旅立っていったのであった。

お分かりとは思いますが全部嘘です。


Posted by 安儀製餡所 at 21:22 映画コメント(0)
The Bandについて続けて書いて来たので、今回で終わりにしたいと思います。

さて、いろいろなご意見もあるでしょうが、やはり彼らの曲作りの中心はギタリストのロビー ロバートソン になると思います。

クレジットを見ればほとんどの歌は彼の作詞作曲か他のメンバーとの共作となっています。

彼が創った歌を3人のヴォーカリスト レヴォン ヘルム、リチャード マニュエル、リック ダンコ が歌う。

ガース ハドソンは(この人だけは正規の音楽教育を受けていたそうです)音楽監督みたいな立場だったと想像出来ます。

ギタリスト ロビー ロバートソン

1970年代中頃、登場してきた フュージョン系のギタリストみたいな派手なソロを弾くわけではなく、自分が作った歌(あるいはディラン)が活きるように余計なことをしないという印象があります。

さて、ギタリストとしてのロビー ロバートソンの特徴といえば何と言っても ピッキング ハーモニックス です。

彼のギターソロの中には必ずと言っていいほど登場します。


ピッキング ハーモニックス

有名な所では イーグルス の ホテル カリフォルニア の2回目のリフレインで ドン フェルダーが オブリガードで弾いている倍音です。

日本では何と言っても 故 石田長生さんが 効果的にカッコよく使っていました。

次の映像は何年か前の 春一番コンサート で 大塚まさじ さんと二人で名曲「天王寺思い出通り」を演奏した時のものです。

観客の声でピッキング ハーモニックスをどこで使ったかよくわかります。それにしても石田さんの演奏もっと聴きたかったものです。



Posted by 安儀製餡所 at 21:41 音楽コメント(0)

The Weight

2019年07月31日
The Band について書いてきたので、やはり、この歌について触れないわけにはいかないと思います。



このロビー ロバートソン の白日夢みたいな歌については今まで様々な解釈がなされてきました。

何かしら宗教的な雰囲気と全くシンプルで力強い歌と演奏。

それにしても何を言っているのか分からない詞の内容。

特に Fanny とは何者なのか、そして今回も謎のリフレイン。この辺についても私なりの解釈を書いてみたいと思います。

1.
I pulled into Nazareth, was feelin' about half past dead;
I just need some place where I can lay my head.
"Hey,① mister, can you tell me②where a man might find a bed?"
He just grinned and shook my hand, and "No!", was all he said.

私がナザレに着いた時は半死半生だった。
私には横になれる場所が必要だった。
そこで私はナザレの人に聞いてみた。「お教えください。人は安息の地を見つけられるですか。」
彼はニヤリと笑い、私の手を握りただ「いいえ」とだけ言った。

リフレイン
①Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me

(神よ)Fanny(母)から荷物を一つ降ろしてください。あなたの慈悲で荷物を一つ私のところに運んでください。
私が全ての重荷を背負います。

2.
I picked up my bag, I went lookin' for a place to hide;
When I saw Carmen and the Devil walkin' side by side.
I said, "Hey, Carmen, come on, let's go downtown."
She said, "I gotta go, but m'friend can stick around."

私は自分の(欲望が詰まった)カバンを拾い上げ、それを隠す場所を探していた。
するとカルメンと悪魔が並んで歩いて来た。
私は言った。「カルメン、こっちへおいで、一緒にダウンタウンへ行こう」
彼女は言った。「私は構わないよ、でも私の周りには悪魔がうろついてるよ。(聖人であるあなたには都合が悪いじゃないの?)

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

3.
Go down, Miss Moses, there's nothin' you can say
It's just② ol' Luke, and Luke's waitin' on the Judgement Day.
"Well, Luke, my friend, what about young Anna Lee?"
He said, "Do me a favor, son, woncha stay an' keep Anna Lee company?"

神に捧げる歌が聞こえてきた。「往きなさいミス モーゼ、でもあなたは何も話せることはない。」
まるで弁明の余地がない年老いたルカみたいだ。そしてルカは判決を待っている。
「我が友ルカよ、若い(愛人の)Anna Lee はどうしている?」
彼は言った。「お願いがあるんだ。俺の服役中Anna Lee を 面倒みてくれないか」

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me

4.
Crazy Chester followed me, and he caught me in the fog.
He said, "I will fix your rack, if you'll take ②Jack, my dog."
I said, "Wait a minute, Chester, you know I'm a peaceful man."
He said, "That's okay, boy, won't you feed him when you can."

独裁者のChester が私の後を追ってきて、とうとう霧の中で捉まってしまった。
彼は言った「もしお前が私の犬のJack を連れていくなら、お前を痛めつけるぞ」
私は言った。「少し待ってくれChester、私が暴力を好まないのを知っているだろう」
彼は言った。「分かったよ。それならできる時でいいから犬のJackに餌をやってくれないか」

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

5.
Catch a cannon ball now, t'take me down the line
My bag is sinkin' low and I do believe it's time.
To get back to ①Miss Fanny, you know she's the only one.
Who sent me here with her regards for everyone.

特急列車に飛び乗ろう、そうすればここを離れられる。
私のカバンは(人々の苦悩で一杯で)重くなっていた。そろそろ潮時だ。
Miss Fanny(母) の元に帰ろう。あなた(神)は知っている。彼女こそが人々の(救済の)ために私をここに送り出した、ただ一人の人だと。

リフレイン
Take a load off Fanny, take a load for free;
Take a load off Fanny, And (and) (and) you can put the load right on me.

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Posted by 安儀製餡所 at 18:22 音楽コメント(0)

Across The Great Devide

2019年07月27日
前回取り上げた The Night They Drove Old Dixie Down 、貼っていたYou Tube の音源はなんか変な終わり方になっていたと思いますが、それは アルバム Rock of Ages ではこの歌とAcross The Great Devideがメドレーになっているからです。

私はこのメドレーがこのアルバムの中でも最も気に入っているところです。


それでこの歌についても少し自分の持っているイメージを書いてみたいと思います。



内容は簡単にいえば 「今の生活に満足できない主人公が収穫祭のさなかこの小さな町を出ようとするが、あらかじめその気持ちに感づいていた恋人の Molly に止められて(おそらく)撃たれてしまう。そして薄れていく意識の中で自分の人生を回想していく。」

1. 
Standin' by your window in pain
A pistol in your hand
And I beg you, dear Molly, girl,
Try and understand your man the best you can

痛みに顔を歪めながらmollyの家の窓辺に立っている。
彼女の手にはピストルか握られている。
「お願いだmolly、どうかわかってほしい」

リフレイン  
Across the Great Divide
Just grab your hat, and take that ride
Get yourself a bride
And bring your children down to the river side

2.
I had a goal in my younger days
I nearly wrote my will
But I changed my mind for the better
I'm at the still, had my fill and I'm fit to kill

もっと若いときは命を懸けてもいいと思う目標があった。
遺書まで書きかけた。
ても良いほうに心変わりしたんだ。(自嘲気味に)
自分に合っていたようで心穏やかで死んだような暮らし。

リフレイン
Across the Great Divide
Just grab your hat, and take that ride
Get yourself a bride
And bring your children down to the river side

3.
Pinball machine and a queen
I nearly took the bus
Tried to keep my hands to myself
They say it's a must, but who can ya trust?

娯楽と享楽の街へ向かうバスに乗りかけたこともあった。
でも自分を律したんだ。
それが大事だと長老たちは言う。
でも神の言うことなんか誰も信じてないんだ。

4.
Harvest moon shinin' down from the sky
A weary sign for all
I'm gonna leave this one horse town
Had to stall 'til the fall, now I'm gonna crawl
Across the Great Divide

夜空に輝く中秋の名月でさえ疲れたサインに見える。
このちっぽけな街を去るつもりだ。
秋の収穫までは待つがそれが済めばロッキーを越えて抜け出すんだ。

5.
Now Molly dear, don't ya shed a tear
Your time will surely come
You'll feed your man chicken ev'ry Sunday
Now tell me, hon, what ya done with the gun?

さあMolly泣かないで。
君にも素晴らしい時が来る。
日曜ごとにチキン料理を振る舞う恋人が現れる。
ところで教えてほしい。その銃で何をしたんだ。(本当に撃つなんて)

リフレイン
Across the Great Divide
Just grab your hat, and take that ride
Get yourself a bride
And bring your children down to the river side

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Posted by 安儀製餡所 at 00:42 音楽

Virgil Caine の末裔

2019年07月18日
「スリー ビルボード」 という映画を遅ればせながら観ました。

映画は評判通りすごくよくできていて特にサム・ロックウェルのレッドネックだかヒルビリーぶりが際立っていました。

ただ、一つ気に入らないのが、この中でクライマックスと言える場面で懐かしい「Old Dixie Down」が流れるのですが、これが「ジョーン バエズ」のヴァージョンだったことです。確かに商業的にはこれが一番成功したのでしょうが、やはり 「The Band」 のを聞きたかったと思いました。

サム・ロックウェル演じるジェイソン・ディクソン巡査はこの歌に登場するVirgil Caine の末裔ということでしょうか。



今回そんなことでふとThe Bandの「The Night They Drove Old Dixie Down」について書いてみます。

The Band

昔見た海外ドラマで中年男性が 「The Weight」を鼻歌で歌っていて、彼の母親に「未だに意味が分からない」という場面がありました。英語が母国語の人間でもそんなものかという感じで私が分からないのも当然かなと安心しました。

この「Old Dixie Down」はテーマが分かり易いのでなんとなくわかったような気になっていたのですが、改めてその歌詞を読んでみるとよくわからないところがたくさんありました。

私が「The Band」の歌としてずっとイメージしていたのは彼らのライヴアルバム「Rock Of Ages」に松山猛さんが書いていたライナーノーツです。

古い話で記憶が曖昧なのですが「彼らの音楽は映画「ラスト ショー」の世界を描いている。」みたいな内容だったと思います。

ある意味「スリー ビルボード」と「ラスト ショー」の世界は時代は違っても舞台が閉塞感で一杯のアメリカ合衆国の田舎という点で非常に近いといえます。

それで「Old Dixie Down」もなんとなく歌詞の意味が分かったような気になっていたのですが、今はインターネットという便利なものもあるので

少し調べてみました。そこで「華氏65度の冬」というブログを見つけました。

このブログには「Old Dixie Down」の歌詞について丁寧に解説がされていました。
 
今回感じたのは、この歌は旧約聖書の「カインとアベル」の物語が色濃く反映されているということです。

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Posted by 安儀製餡所 at 00:02 映画音楽コメント(0)

Pentangle

2019年02月05日
Far from the Madding Crowd

先日 たまたま 女優のCarey Mulligan が Pentangle のファーストアルバムに入っている「Let No Man Steal Your Thyme」を歌っている映像を You Tube で見つけました。




多分以前にInside Llewyn Davis という映画でP.P.M.スタイルで「500マイル」を歌っている映像を再生したためだと思いますが。




Inside Llewyn Davisは評価の高い映画で私も観たのですが、なんか このDavis君のクズ男ぶりが際立っていたというか、あんまり彼の苦悩には共感できませんでした。

Carey Mulliganが「Let No Man Steal Your Thyme」を歌っている「Far from the Madding Crowd」という映画は文豪トーマス・ハーディの小説を映画化したものです。

非常に観たいのですが残念ながら日本未公開ということです。ネット配信かツタヤさんに行くかですが、まあそのうちWOWOWで放映されるでしょう。





Pentangle

Bert Jansch も John Renbourn も亡くなってしまいましたが結成当時のPentangleが「Let No Man Steal Your Thyme」を演奏している映像が残っています。

Pentangleは当時の英国フォークシーンでは既に有名であった二人にジャズ畑出身のDanny Thompson(Bass) Terry Cox(Drum)にJacqui McShee(Vocal)の5人で結成されました。

Pentangle のファーストアルバムのジャケットはメンバーのシルエットのイラストだけでしたので、デビュー当時の映像が残っているのは貴重だと思います。





Willy O Winsbury

私がその昔、Pentangleのアルバムを買いに行った所、レコード会社の契約の関係で国内版はラストアルバムとなった Solomon's Sealしか販売されていませんでした。

それで不本意ながらラストアルバムから聴くことになりました。


その中でこの唄は当時British Trad と呼ばれていた 唄のイメージ通りの内容、「囚われの王、悲嘆にくれる王女、白馬(唄の中では
Dapple Greyですが)の王子様の登場」といった感じです。

この映像の中でBert Janschが珍しく(アパラチアン)ダルシマー を弾いています。 Terry Coxはこの唄ではお休みで4人で演奏しています。

Willy O Winsburyはチャイルド バラッドにも入っている有名な唄で、色々な人が歌っています。またSandy Dennyもメロディーを使って
Farewell Farewell という唄を作りました。






Posted by 安儀製餡所 at 17:57 映画音楽コメント(0)
2019年になってからろくな事がありません。 

しかも北海道産の豆類の高騰、10月には消費税の値上げあるいはHaccpの準備でいろいろと面倒くさいことが増えたりとこの先も不安な要素が一杯です。


気が滅入ることが多く、今一番気に入っているこの動画を観ながら毎晩一人で飲んでいます。

 このドン・マクリーンの Vincent という唄を使った動画です。




懐かしいドン・マクリーンの歌声、といっても私は”あの唄”しか知らず、この年になって初めて聞きました。1970年代の最初の頃に出来た唄です。

ドン・マクリーンというのはアメリカの 円広志 さんみたいな感じの人だと思っていたのですが American Pie 以外にも結構いろいろと有名な曲を作っていることを知りました。

それにしてもこの動画はうまくできていると感心してしまいます。

Posted by 安儀製餡所 at 19:02 音楽コメント(0)

小豆はどこへ消えた?

2019年01月06日
最近少し世間でも話題になっていますが、平成30年の夏、北海道は冷害に見舞われました。

この影響から  餡 の原材料になる北海道産の豆の価格が前年と比べて全て40~50%以上値上がりしています。

この前年の価格も平成28年の不作と作付面積の減少による高騰から据え置いたままのものですから数年前から比べると大変な値上がりです。

そして、本来ならばもう出回って来てもよいはずの30年産の小豆が価格だけが高騰して実物がさっぱり出てきません。
信じがたいことですが、なんでも大豆の選別、調整作業を先行しているため小豆がまだ市場に出回って来ないという事だそうです。

自然災害による不作というのはある意味仕様がない所もありますが、この作付面積が増えないというのは政治的、あるいは農水省の政策的な色彩が濃いと言えます。


単純に小豆の作付面積を増やすのにはどうしたらいいでしょうか?

作付面積が増えない訳

大豆と比べて小豆の作付面積が増えない要因としては

①大豆には補助金が交付されるが小豆には交付されない。従って農家としては収入が保証されている大豆を作ります。

②次に大豆の方が小豆と比べて機械化が進んでいて、栽培、収穫に手間がかからない

という事です。

解決策

①の解決策として誰でもが思いつくのが、大豆と同様に小豆についても補助金交付を行うことです。

これについては私の知り合いが農水省の人にこの件を話したところ答えは「小豆は輸入枠を増やしたので検討するつもりはない。」という事です。 つまり国産小豆の不足分は輸入の中国産小豆で賄えばよいという事です。

今年は致し方ないとしても、一旦国産小豆から中国産小豆に切り替えたところの何割かは価格も安いことからこのまま中国産小豆を使い続けます。つまり北海道産の手亡が衰退して現在手亡といえばカナダ産になっているのと同様に国産小豆の衰退につながることでしょう。

やがて和菓子のあんこは全て海外産の豆で作られているという時代が来るやもしれません。


②についてはまあ「佃製作所」に頑張ってもらうしかないでしょう。


現状のままでは国産小豆の収穫量は来年以降も非常に難しいと言えるでしょう。















Posted by 安儀製餡所 at 22:00 安儀通信コメント(0)

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